岐阜縦断2019~山車とからくり屋敷~ - 2019.08.20 Tue
2019年8月11日(日)、
犬山城から下りてくると熱中症の症状が増していたw
自動販売機で缶珈琲を一気飲みし、
それでも寒気が収まらないので飛び込んだのが「犬山市文化史料館」。
どうやらここは徳川家家臣、成瀬正成の居城となり、
天守閣が創建されたようだ。
成瀬家は正成の祖父、正頼が、
家康の父、松平広忠が岡崎城復帰の折、支援した武将の一人。
実はこの広忠、10歳で父親が死去。
大叔父の専横に合い、出奔。
各地を放浪した後、今川義元の執り成しを受けて岡崎に戻れたという苦労人w
しかし1547年(天文16年)、信長の父、信秀の岡崎侵攻に際し、
今川への助力を仰いだところ、
人質を差し出すよう促され、6歳の竹千代(後の徳川家康)に白羽の矢が立つ。
ところが義母の父、戸田康光の裏切りでなんと織田信秀の下へ送られてしまったというから、
家康の苦労も生半可なものではない(^▽^;
松平広忠は身内の裏切りで殺害されたとも言われ、
身内がもっとも信用出来ないことを信長、家康共によく知っていた。
信長もまた、家臣明智光秀に討たれている為、
家康は一層、猜疑心を強めたことだろう。
一度裏切った者は信用しない徹底ぶりはつとに有名である。
正成は徳川家康の小姓として早くから仕え、
小牧・長久手の戦い、秀吉の朝鮮出兵、
関ヶ原の戦いなどで武功を立てたと言われる。
大阪冬の陣での和睦に際し、外堀どころか内堀まで埋めたのはこの男w
ちなみに入場料は100円で、
こちらのチケットで「からくり展示館」にも入場出来る為お得( ´艸`)
一度は見たことがあるだろう、「茶運び人形」の実演有!
個人的には狂言の演目である「三番叟」や、
能の演目である「猩々」からくりが展示してあって興味深かった♪
猩々は疫病退散の神とも言われ、
尾道のベッチャー祭りのように叩かれると夏病みにかからないとも言われた。
また猩々人形の「赤」は疫病神(疱瘡)の嫌う色とされ、
患者の衣類を赤にするなど、
流行り病(伝染病)を恐れた当時の人々の、
すがるような思いが伝わってくるようだった。
旧磯部邸で係員のお兄さんと談笑した後、
名刺をいただいてやってきたのが「どんでん館」。

休憩所も兼ねていて、
入場料100円は取るものの、
一回にある車山の展示は圧巻!
(ちなみにこの時、
通常4基の展示である車山は1基修理中とのことで、
3基のみの展示でした☆)
吹き抜けの展示室に入るとにわとりの一声に迎えられ、
犬山祭の「一日」が体験出来ます(^^)
せわしなく聞こえる足音、
匂いがしてきそうな朝餉の準備。
そのうち、人々の声が増えてきて夜が明ける。
天井には雲が流れ、鳴り物の音がして、
文字通り「祭り」の一日が始まるわけです。
---------犬山ではコレが一番面白かったかな?(^-^;
(犬山城修理中だったしw)
他にも犬山神社、猿田彦神社、三光稲荷神社、
針鋼神社などなど、色々巡ったつもりでしたが、
なにしろ暑くてw
午後4時、チェックイン時間になると、
早々にホテルへ退散したのはここだけの話( ´艸`)
ちなみに---------、
犬山では山車のことを「車山(やま)」と言うそうです。
西国の人間としては「山車」と呼んでしまって仕方なかったです(^▽^;
その起源は不調法につき存じ上げませんがw
インド、ヒンズー教に端を発するという説があります。
インド、コナラクのスーリヤ寺院は、
直径3mもある車輪がいくつも彫刻されており、
全体が巨大な「山車」であるとも言われています。
またネパールでは現在でもヒンズー寺院のお祭りに巨大な山車が引き回されるそうで、
遠く大陸から渡ってきた宗教的文化が、
内陸の、遠くは高山まで及んでいるというのは、
ある種の驚異を感じざるをえないのである。
犬山城から下りてくると熱中症の症状が増していたw
自動販売機で缶珈琲を一気飲みし、
それでも寒気が収まらないので飛び込んだのが「犬山市文化史料館」。
どうやらここは徳川家家臣、成瀬正成の居城となり、
天守閣が創建されたようだ。
成瀬家は正成の祖父、正頼が、
家康の父、松平広忠が岡崎城復帰の折、支援した武将の一人。
実はこの広忠、10歳で父親が死去。
大叔父の専横に合い、出奔。
各地を放浪した後、今川義元の執り成しを受けて岡崎に戻れたという苦労人w
しかし1547年(天文16年)、信長の父、信秀の岡崎侵攻に際し、
今川への助力を仰いだところ、
人質を差し出すよう促され、6歳の竹千代(後の徳川家康)に白羽の矢が立つ。
ところが義母の父、戸田康光の裏切りでなんと織田信秀の下へ送られてしまったというから、
家康の苦労も生半可なものではない(^▽^;
松平広忠は身内の裏切りで殺害されたとも言われ、
身内がもっとも信用出来ないことを信長、家康共によく知っていた。
信長もまた、家臣明智光秀に討たれている為、
家康は一層、猜疑心を強めたことだろう。
一度裏切った者は信用しない徹底ぶりはつとに有名である。
正成は徳川家康の小姓として早くから仕え、
小牧・長久手の戦い、秀吉の朝鮮出兵、
関ヶ原の戦いなどで武功を立てたと言われる。
大阪冬の陣での和睦に際し、外堀どころか内堀まで埋めたのはこの男w
ちなみに入場料は100円で、
こちらのチケットで「からくり展示館」にも入場出来る為お得( ´艸`)
一度は見たことがあるだろう、「茶運び人形」の実演有!
個人的には狂言の演目である「三番叟」や、
能の演目である「猩々」からくりが展示してあって興味深かった♪
猩々は疫病退散の神とも言われ、
尾道のベッチャー祭りのように叩かれると夏病みにかからないとも言われた。
また猩々人形の「赤」は疫病神(疱瘡)の嫌う色とされ、
患者の衣類を赤にするなど、
流行り病(伝染病)を恐れた当時の人々の、
すがるような思いが伝わってくるようだった。
旧磯部邸で係員のお兄さんと談笑した後、
名刺をいただいてやってきたのが「どんでん館」。

休憩所も兼ねていて、
入場料100円は取るものの、
一回にある車山の展示は圧巻!
(ちなみにこの時、
通常4基の展示である車山は1基修理中とのことで、
3基のみの展示でした☆)
吹き抜けの展示室に入るとにわとりの一声に迎えられ、
犬山祭の「一日」が体験出来ます(^^)
せわしなく聞こえる足音、
匂いがしてきそうな朝餉の準備。
そのうち、人々の声が増えてきて夜が明ける。
天井には雲が流れ、鳴り物の音がして、
文字通り「祭り」の一日が始まるわけです。
---------犬山ではコレが一番面白かったかな?(^-^;
(犬山城修理中だったしw)
他にも犬山神社、猿田彦神社、三光稲荷神社、
針鋼神社などなど、色々巡ったつもりでしたが、
なにしろ暑くてw
午後4時、チェックイン時間になると、
早々にホテルへ退散したのはここだけの話( ´艸`)
ちなみに---------、
犬山では山車のことを「車山(やま)」と言うそうです。
西国の人間としては「山車」と呼んでしまって仕方なかったです(^▽^;
その起源は不調法につき存じ上げませんがw
インド、ヒンズー教に端を発するという説があります。
インド、コナラクのスーリヤ寺院は、
直径3mもある車輪がいくつも彫刻されており、
全体が巨大な「山車」であるとも言われています。
またネパールでは現在でもヒンズー寺院のお祭りに巨大な山車が引き回されるそうで、
遠く大陸から渡ってきた宗教的文化が、
内陸の、遠くは高山まで及んでいるというのは、
ある種の驚異を感じざるをえないのである。
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