暁の調べ、始めましたw - 2015.07.13 Mon
PSP「裏語薄桜鬼~暁の調べ~」、始めましたw

CLOCK ZEROはどーしたっwwww
って感じなのですが(^▽^;
ただいま公開中☆NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で、
大いにw評価を落としている久坂玄瑞www
旬かな~と (*´艸`)
FDということで、無印攻略キャラクター4人との、
その後の関係が楽しめる「恋募綴り」。
そして無印では攻略対象ではなかった3人、
山縣有朋、久坂玄瑞、伊藤博文が、
無印の流れにそって攻略出来る「黎明の轍」があります。
「黎明の轍」を選択するまで、
第一章から四章くらいまでだったかな?
彼らとの「出会い」を改めて読まなくてはならない、
少し面倒な部分もありますが(^ー^;
そこはご愛嬌ですよねwww
主人公と兄、霧島聡介は新選組と思しきバケモノに襲われ、
助力を仰いだのが土佐藩の武市瑞山。
彼の拠点である「丹虎」に向かう途中、
長州藩、桂小五郎と出会い、救われます。
しかし二人が駆けつけた時、
すでに兄、聡介の姿はありませんでした。
兄の失踪、
土佐藩、武市瑞山こと半平太との出会い。
彼の「従者」ともいえる岡田以蔵の存在。
長州藩、桂小五郎と高杉晋作。
彼らと志を同じくする伊藤、久坂、山縣。
これから登場するだろう薩摩藩。
西郷隆盛を通じて見え隠れする、
維新の黒幕、トーマス・ブレーク・グラバー--------。
PSP「薄桜鬼」の主人公が新選組に捕らわれていた頃、
もう一人の主人公の下には、
兄聡介が警戒し、遠ざけていたはずの佐幕、倒幕、攘夷志士達が、
(皮肉にも)集結してしまったことになります。
以後、山縣、久坂、伊藤と、
どんな物語が紡がれていくのかは分かりませんが、
このメンツもなかなか皮肉がきいていて楽しい(>▽<)
(思えば土佐の坂本龍馬、中岡慎太郎が出てきてないなぁw)
めいこいの影響もあり、
箱根行きの旅行計画もあり♪
上記メンツも箱根とは浅からぬ縁を感じます(^^)
まずは「環翠楼」様♪
幕府の「秘策」として公武合体により降下した、
孝明帝の異母妹、皇女和宮が登楼したことで有名w
彼女は元々有栖川宮熾仁親王と婚約していたが、
将軍家茂もまた伏見宮邦家親王の第八王女、則子との縁談を、
打ち切ってのことだったらしい。
則子は結局紀州藩第14代藩主、徳川茂承に嫁いだ。
明治23年(1890年)、
めいこいの舞台であると(勝手にw)解釈しているこの年-------。
伊藤博文が環翠楼に登楼している。
時に49歳w
PSP「明治東京恋伽 トワヰライト・キス」で、
藤田五郎が泊まったと(こちらも勝手にw)されているのがこの環翠楼であるからw
もしかしたらかつての仇敵は、
ここ箱根の地で顔を合わせてしたかもしれないwww
森鷗外が泊まった宿は老舗旅館風ではあるが、
どちらかというと別邸くさかった(笑)
仮にここだと(勝手にw)仮定したとしてw
森鷗外の小説「舞姫」を自伝的それとして見た場合、
鷗外(太田豊太郎)に対して絶対の力を持っていたのが、
天方伯爵こと山縣有朋だw
伊藤と共に高杉晋作の配下にあった山縣狂介。
彼もまたこの宿に登楼したことがあったかもしれない。
ちなみにこの宿には、
PSP「裏語薄桜鬼~暁の調べ~」に登場予定の勝海舟も碑を贈っている。
月影のかかるはしとも しらすして よをいとやすく ゆく人やたれ
(よ(世)をいと(た)やすく ゆ(生)く人やたれ(誰)-----?)
もっとも「氷川清話」の件もある為、
それを差し引いて考える必要があるが、
それにしても・・・・・・・・・(^-^;
「環翠楼」が伊藤博文なら、
「萬翆楼福住」様は桂小五郎だ(苦笑)
明治2年(1869年)、
明治帝が京を出立、江戸へと向かったこの年、
桂小五郎こと木戸孝允が萬翆楼福住へ登楼している。
映画めいこいに登場する岩崎桃介の義父、福沢諭吉や、山内容堂。
明治帝妃である昭憲皇太后。
皇女和宮のかつての恋人(?)、有栖川宮熾仁親王も何故か?
「環翠楼」ではなくここ「萬翆楼福住」に登楼している。
そして何より三条実美だwww
--------単体の登楼を許していた宿と見るべきか、
それともなんらかの形で環翠楼は登楼に制限をかけていたと見るべきか・・・・。
悩むところ(^▽^;
※とはいえ、環翠楼には李鴻章や孫文、
桂太郎や東郷平八郎なども泊まっている為、
制限をかけていたようにも見えないが(^▽^;
関白、九条尚忠は日米修好通商条約に際し、
幕府側にたって孝明帝に勅許を求めた他、
公武合体と称して皇女和宮を徳川家茂に嫁がせるなど、
見た目には佐幕といえる。
しかし同時に息子煕通を鷹司輔煕へ養子に出し、
(後に)倒幕となる長州藩との関係も持っていた。
禁門の変で久坂玄瑞が亡くなったのは、
この鷹司親子に利用された結果ではないだろうか?
尚忠は娘を孝明帝妃に差し出し(英照皇太后)、
また息子九条道孝の娘は大正帝の后(貞明皇后)として、
幕末から大正、昭和の激動期を生きた。
平成帝の中には(表向き)九条の血が息づいており、
いつ何時、ひょっこりと首をもたげるかわからない。
あの紀宮清子内親王の縁談話の時のように・・・・・・・・。

CLOCK ZEROはどーしたっwwww
って感じなのですが(^▽^;
ただいま公開中☆NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で、
大いにw評価を落としている久坂玄瑞www
旬かな~と (*´艸`)
FDということで、無印攻略キャラクター4人との、
その後の関係が楽しめる「恋募綴り」。
そして無印では攻略対象ではなかった3人、
山縣有朋、久坂玄瑞、伊藤博文が、
無印の流れにそって攻略出来る「黎明の轍」があります。
「黎明の轍」を選択するまで、
第一章から四章くらいまでだったかな?
彼らとの「出会い」を改めて読まなくてはならない、
少し面倒な部分もありますが(^ー^;
そこはご愛嬌ですよねwww
主人公と兄、霧島聡介は新選組と思しきバケモノに襲われ、
助力を仰いだのが土佐藩の武市瑞山。
彼の拠点である「丹虎」に向かう途中、
長州藩、桂小五郎と出会い、救われます。
しかし二人が駆けつけた時、
すでに兄、聡介の姿はありませんでした。
兄の失踪、
土佐藩、武市瑞山こと半平太との出会い。
彼の「従者」ともいえる岡田以蔵の存在。
長州藩、桂小五郎と高杉晋作。
彼らと志を同じくする伊藤、久坂、山縣。
これから登場するだろう薩摩藩。
西郷隆盛を通じて見え隠れする、
維新の黒幕、トーマス・ブレーク・グラバー--------。
PSP「薄桜鬼」の主人公が新選組に捕らわれていた頃、
もう一人の主人公の下には、
兄聡介が警戒し、遠ざけていたはずの佐幕、倒幕、攘夷志士達が、
(皮肉にも)集結してしまったことになります。
以後、山縣、久坂、伊藤と、
どんな物語が紡がれていくのかは分かりませんが、
このメンツもなかなか皮肉がきいていて楽しい(>▽<)
(思えば土佐の坂本龍馬、中岡慎太郎が出てきてないなぁw)
めいこいの影響もあり、
箱根行きの旅行計画もあり♪
上記メンツも箱根とは浅からぬ縁を感じます(^^)
まずは「環翠楼」様♪
幕府の「秘策」として公武合体により降下した、
孝明帝の異母妹、皇女和宮が登楼したことで有名w
彼女は元々有栖川宮熾仁親王と婚約していたが、
将軍家茂もまた伏見宮邦家親王の第八王女、則子との縁談を、
打ち切ってのことだったらしい。
則子は結局紀州藩第14代藩主、徳川茂承に嫁いだ。
明治23年(1890年)、
めいこいの舞台であると(勝手にw)解釈しているこの年-------。
伊藤博文が環翠楼に登楼している。
時に49歳w
PSP「明治東京恋伽 トワヰライト・キス」で、
藤田五郎が泊まったと(こちらも勝手にw)されているのがこの環翠楼であるからw
もしかしたらかつての仇敵は、
ここ箱根の地で顔を合わせてしたかもしれないwww
森鷗外が泊まった宿は老舗旅館風ではあるが、
どちらかというと別邸くさかった(笑)
仮にここだと(勝手にw)仮定したとしてw
森鷗外の小説「舞姫」を自伝的それとして見た場合、
鷗外(太田豊太郎)に対して絶対の力を持っていたのが、
天方伯爵こと山縣有朋だw
伊藤と共に高杉晋作の配下にあった山縣狂介。
彼もまたこの宿に登楼したことがあったかもしれない。
ちなみにこの宿には、
PSP「裏語薄桜鬼~暁の調べ~」に登場予定の勝海舟も碑を贈っている。
月影のかかるはしとも しらすして よをいとやすく ゆく人やたれ
(よ(世)をいと(た)やすく ゆ(生)く人やたれ(誰)-----?)
もっとも「氷川清話」の件もある為、
それを差し引いて考える必要があるが、
それにしても・・・・・・・・・(^-^;
「環翠楼」が伊藤博文なら、
「萬翆楼福住」様は桂小五郎だ(苦笑)
明治2年(1869年)、
明治帝が京を出立、江戸へと向かったこの年、
桂小五郎こと木戸孝允が萬翆楼福住へ登楼している。
映画めいこいに登場する岩崎桃介の義父、福沢諭吉や、山内容堂。
明治帝妃である昭憲皇太后。
皇女和宮のかつての恋人(?)、有栖川宮熾仁親王も何故か?
「環翠楼」ではなくここ「萬翆楼福住」に登楼している。
そして何より三条実美だwww
--------単体の登楼を許していた宿と見るべきか、
それともなんらかの形で環翠楼は登楼に制限をかけていたと見るべきか・・・・。
悩むところ(^▽^;
※とはいえ、環翠楼には李鴻章や孫文、
桂太郎や東郷平八郎なども泊まっている為、
制限をかけていたようにも見えないが(^▽^;
関白、九条尚忠は日米修好通商条約に際し、
幕府側にたって孝明帝に勅許を求めた他、
公武合体と称して皇女和宮を徳川家茂に嫁がせるなど、
見た目には佐幕といえる。
しかし同時に息子煕通を鷹司輔煕へ養子に出し、
(後に)倒幕となる長州藩との関係も持っていた。
禁門の変で久坂玄瑞が亡くなったのは、
この鷹司親子に利用された結果ではないだろうか?
尚忠は娘を孝明帝妃に差し出し(英照皇太后)、
また息子九条道孝の娘は大正帝の后(貞明皇后)として、
幕末から大正、昭和の激動期を生きた。
平成帝の中には(表向き)九条の血が息づいており、
いつ何時、ひょっこりと首をもたげるかわからない。
あの紀宮清子内親王の縁談話の時のように・・・・・・・・。
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