令和帝即位記念2019~刀鍛冶~ - 2019.05.28 Tue
2019年5月5日(土)。
この日、ようやく宿の飯にありついた( ´艸`)
今回お邪魔したのが京都でゲストハウスを営まれている雅順さん。
---------実は(国内では)ゲストハウスというシステムに宿泊するのが初めての為、
大変緊張したものでしたが、
慣れてしまえばどうということもなくw
生来、あまり人を疑わないのも手伝って、
(おいっw)
三泊もしてしまったわけです( ´艸`)
毎週(かな?)、金曜日にはパーティナイトと称し、
ハウス主催の交流会に参加することが出来ます。
参加費は500円(食事代)。
飲み物は別途(笑)
大体、ビール一杯500円というところらしかったです。
・・・・・・・参加したいのは山々だったのですが、
この日は京都着二日目で疲労困憊の局地にあり、
とにかく寝たいってのが先だった為、
(おまけに翌朝は伏見行き早朝出発が控えていた(^▽^;)
あえなく断念したので、
次回、ここに泊まるようなことがあれば参加したいなぁ( ´艸`)
(同様の理由でお風呂ツアーにも行けなかったし(´Д⊂グスン)
本館は一杯だった為、別館に泊まったのですが・・・・・・・・・・、
ん?
この隣のビルにある見慣れたマークは・・・・・・・・・???(苦笑)
(いつもは玄関で眠っている看板犬「ジロー」さんも、
朝は忙しくしておられます)
海外の方の利用も多くあるようで、
(日本人だと思ったらアジア系の人だったりw)
最終日には欧州圏内の方かなぁ? ご家族で来られていました。
英語で挨拶したけど、もしかしたら母国語は違ったかも(^^;
海外に出て初めて理解したことですが、
英語は万能じゃありませんw
内陸部になると英語がまるで通じないところだってある!
外人=英語と思い込んでいたけど、
決してそうじゃないんだ。失礼なことだってあるンだ。と、
意識改革の真っ最中デス☆☆☆
雅順さんの朝食♪
このシステムの宿屋にしては大変種類があります( ´艸`)
何より果物が多いところがイイ❤
5月5日にはなんとカプレーゼまであって大満足(*ノェノ)キャー
ところが・・・・・・・・・、
お箸の国の人だものw
-----------結局、「こう」なるンですよ(-.-;
パンと珈琲でもいいけど、
一時間もすればお腹が空いてくるw
日本人なら米!
しかも炊き込みご飯とあって食が進み・・・・・・・・・・・・、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
いえ、ね?
隣にご紋付きを着た美しい女性が座られて、ね?
見れば下が袴なワケデスヨ☆
つまり偉い人っっ(´Д⊂グスン
---------途中からご飯がどこに入ったやらw
まったくわからなくなりました(^▽^;
雅順さんの裏手からは八坂神社に抜ける絶好の散歩道があります( ´艸`)
2016年とは逆。
つまり三条から四条、祇園社に向けて下っていきます。
上記のように、2016年すでに回った場所でもあるので、
行くつもりはなかったのですが・・・・・・・、
まるで来いと言わんばかりに、
一期一振が出たからw
天目一箇神を祀る鍛冶神社。
スサノオが生皮を剥いだ牡牛(一説には馬とも)を投げ入れたことから、
機織の娘が一人、ホトを突いて死んでしまいます。
それに怒った天照大神が天岩戸に閉じこもり、世界は闇に包まれました。
この時、天宇受売命が舞いを舞って、
天照大神をおびき出したのですが、
その祭事に辺り、刀を打ったのが天目一箇神と言われています。
粟田神社鳥居前には朝日を遮るほどの竹林が、
今も鳥たちの住処となっていますが、
どうやら三条宗近はこの辺りに住んでいたらしいです( ´艸`)
スサノオを祀る粟田神社。
京の都はスサノオ陣営の神社が多いですね(^▽^;
おまけにこちらは大己貴命。
つまり大国主命も同じく祀られているンですよ(滝汗)
大国主命と言えば「国譲り」が有名。
いわゆる「先住民族」として大陸から渡ってきた大己貴命。
つまり大国主命達は苦労して原住民である日本古来の住民を統治下に治め、
ようやく「国」という体を成していた頃--------、
スサノオという権力闘争に破れた皇子がやってきて庇護を求めます。
スサノオは国の重鎮の娘、櫛名田姫と結婚。
ようやく日の目を見るかと思う頃、
やってきたのが大陸からの東征軍。
天照大神の部下達です(-.-;
激しい抵抗はすれども多勢に無勢。
ついに「国譲り」を迫られ、彼らは多くの材(この場合は鉄)を搾取され、
やがて滅びていったわけです。
スサノオ軍(第一次亡命政権)と、
天照大神軍(第二次亡命政権)との東征ルートを辿ると、
面白いことが分かってくる(^▽^;
そしてここにもう一つ。重要な「ファクター」とも言える人物がいます。
月読軍。
壱岐からいち早く京の地へ移り、
以後二千年に渡って日本を影から操った第三の勢力です。
そんな粟田神社は左右祭神もすごい(^^;
右座に最初の妻、櫛名田姫と、後妻である神大市比売。
そして佐須良比賣命という穢を祓う神--------。
左座には八王子命とあるけど、
・・・・これって第一次亡命政権発足時、
現地の有力者と結婚した部下(または部下の子供たち)だったンじゃないかなぁ?
しかも「八」ってくらいだから、砂鉄の取れる川を支配していた権力者。
つまり「ヤマタノオロチ」の元になった人たち?的な?(苦笑)
ちなみに粟田口は「京の七口」と呼ばれた関所の一つ。
(他は鞍馬口・荒神口・大原口・丹波口・東寺口・長坂口・鳥羽口・五条口・竹田口・伏見口)
東海道五十三次にも登場する、大津から京に入る要衝です。
治安維持の為、刑場が置かれ、
今も「粟田口刑場」として史跡が残っています。
(ちょっと僻地にある為、いけませんでしたがw)
「粟田口」がいつ頃から「刑場」として機能していたのかは不明ですが、
少なくとも1582年以前だったことは間違いありません。
1582年、天正10年。謀反を起こし、
主君織田信長を殺害した明智光秀の首は、
ここ粟田口にさらされたという記述がある為です(^▽^;
刀工達が結集していた理由の一つも、
この「粟田口」にあると思うのは私だけなンでしょうかねぇ(-.-;
刀は奉納される無垢の新刀を除き、
大体は「お試し」にかけられ切味を試されたとあります。
江戸期にはそれ専用の「役人」までいました。
死体に事欠かない粟田口という地理は、
豊かな水と相まって、刀工たちにとって重要な場所であったと思うのですw
この日、ようやく宿の飯にありついた( ´艸`)
今回お邪魔したのが京都でゲストハウスを営まれている雅順さん。
---------実は(国内では)ゲストハウスというシステムに宿泊するのが初めての為、
大変緊張したものでしたが、
慣れてしまえばどうということもなくw
生来、あまり人を疑わないのも手伝って、
(おいっw)
三泊もしてしまったわけです( ´艸`)
毎週(かな?)、金曜日にはパーティナイトと称し、
ハウス主催の交流会に参加することが出来ます。
参加費は500円(食事代)。
飲み物は別途(笑)
大体、ビール一杯500円というところらしかったです。
・・・・・・・参加したいのは山々だったのですが、
この日は京都着二日目で疲労困憊の局地にあり、
とにかく寝たいってのが先だった為、
(おまけに翌朝は伏見行き早朝出発が控えていた(^▽^;)
あえなく断念したので、
次回、ここに泊まるようなことがあれば参加したいなぁ( ´艸`)
(同様の理由でお風呂ツアーにも行けなかったし(´Д⊂グスン)
本館は一杯だった為、別館に泊まったのですが・・・・・・・・・・、
ん?
この隣のビルにある見慣れたマークは・・・・・・・・・???(苦笑)
(いつもは玄関で眠っている看板犬「ジロー」さんも、
朝は忙しくしておられます)
海外の方の利用も多くあるようで、
(日本人だと思ったらアジア系の人だったりw)
最終日には欧州圏内の方かなぁ? ご家族で来られていました。
英語で挨拶したけど、もしかしたら母国語は違ったかも(^^;
海外に出て初めて理解したことですが、
英語は万能じゃありませんw
内陸部になると英語がまるで通じないところだってある!
外人=英語と思い込んでいたけど、
決してそうじゃないんだ。失礼なことだってあるンだ。と、
意識改革の真っ最中デス☆☆☆
雅順さんの朝食♪
このシステムの宿屋にしては大変種類があります( ´艸`)
何より果物が多いところがイイ❤
5月5日にはなんとカプレーゼまであって大満足(*ノェノ)キャー
ところが・・・・・・・・・、
お箸の国の人だものw
-----------結局、「こう」なるンですよ(-.-;
パンと珈琲でもいいけど、
一時間もすればお腹が空いてくるw
日本人なら米!
しかも炊き込みご飯とあって食が進み・・・・・・・・・・・・、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
いえ、ね?
隣にご紋付きを着た美しい女性が座られて、ね?
見れば下が袴なワケデスヨ☆
つまり偉い人っっ(´Д⊂グスン
---------途中からご飯がどこに入ったやらw
まったくわからなくなりました(^▽^;
雅順さんの裏手からは八坂神社に抜ける絶好の散歩道があります( ´艸`)
2016年とは逆。
つまり三条から四条、祇園社に向けて下っていきます。
上記のように、2016年すでに回った場所でもあるので、
行くつもりはなかったのですが・・・・・・・、
まるで来いと言わんばかりに、
一期一振が出たからw
天目一箇神を祀る鍛冶神社。
スサノオが生皮を剥いだ牡牛(一説には馬とも)を投げ入れたことから、
機織の娘が一人、ホトを突いて死んでしまいます。
それに怒った天照大神が天岩戸に閉じこもり、世界は闇に包まれました。
この時、天宇受売命が舞いを舞って、
天照大神をおびき出したのですが、
その祭事に辺り、刀を打ったのが天目一箇神と言われています。
粟田神社鳥居前には朝日を遮るほどの竹林が、
今も鳥たちの住処となっていますが、
どうやら三条宗近はこの辺りに住んでいたらしいです( ´艸`)
スサノオを祀る粟田神社。
京の都はスサノオ陣営の神社が多いですね(^▽^;
おまけにこちらは大己貴命。
つまり大国主命も同じく祀られているンですよ(滝汗)
大国主命と言えば「国譲り」が有名。
いわゆる「先住民族」として大陸から渡ってきた大己貴命。
つまり大国主命達は苦労して原住民である日本古来の住民を統治下に治め、
ようやく「国」という体を成していた頃--------、
スサノオという権力闘争に破れた皇子がやってきて庇護を求めます。
スサノオは国の重鎮の娘、櫛名田姫と結婚。
ようやく日の目を見るかと思う頃、
やってきたのが大陸からの東征軍。
天照大神の部下達です(-.-;
激しい抵抗はすれども多勢に無勢。
ついに「国譲り」を迫られ、彼らは多くの材(この場合は鉄)を搾取され、
やがて滅びていったわけです。
スサノオ軍(第一次亡命政権)と、
天照大神軍(第二次亡命政権)との東征ルートを辿ると、
面白いことが分かってくる(^▽^;
そしてここにもう一つ。重要な「ファクター」とも言える人物がいます。
月読軍。
壱岐からいち早く京の地へ移り、
以後二千年に渡って日本を影から操った第三の勢力です。
そんな粟田神社は左右祭神もすごい(^^;
右座に最初の妻、櫛名田姫と、後妻である神大市比売。
そして佐須良比賣命という穢を祓う神--------。
左座には八王子命とあるけど、
・・・・これって第一次亡命政権発足時、
現地の有力者と結婚した部下(または部下の子供たち)だったンじゃないかなぁ?
しかも「八」ってくらいだから、砂鉄の取れる川を支配していた権力者。
つまり「ヤマタノオロチ」の元になった人たち?的な?(苦笑)
ちなみに粟田口は「京の七口」と呼ばれた関所の一つ。
(他は鞍馬口・荒神口・大原口・丹波口・東寺口・長坂口・鳥羽口・五条口・竹田口・伏見口)
東海道五十三次にも登場する、大津から京に入る要衝です。
治安維持の為、刑場が置かれ、
今も「粟田口刑場」として史跡が残っています。
(ちょっと僻地にある為、いけませんでしたがw)
「粟田口」がいつ頃から「刑場」として機能していたのかは不明ですが、
少なくとも1582年以前だったことは間違いありません。
1582年、天正10年。謀反を起こし、
主君織田信長を殺害した明智光秀の首は、
ここ粟田口にさらされたという記述がある為です(^▽^;
刀工達が結集していた理由の一つも、
この「粟田口」にあると思うのは私だけなンでしょうかねぇ(-.-;
刀は奉納される無垢の新刀を除き、
大体は「お試し」にかけられ切味を試されたとあります。
江戸期にはそれ専用の「役人」までいました。
死体に事欠かない粟田口という地理は、
豊かな水と相まって、刀工たちにとって重要な場所であったと思うのですw
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