独逸日記2017 - 2017.09.11 Mon
Deutsches Tagebuch 2017
【日程】
2017年8月9日(木)~8月17日(金)
【見学場所】
ブランデンブルク門
森鴎外第一の下宿(森鴎外記念館)
森鴎外第二の下宿(Berlin Carréショッピングモール内マクドナルド)
森鴎外第三の下宿(ハッケッシャー・マルクト クローゼ・プレジデンテン通り10番地)
ガルニソン教会広場
マリーエン教会
涙の宮殿
ベルリンの壁追悼記念館
オーバーバウム橋
イースト・サイド・ギャラリー
東駅蚤の市
博物館島蚤の市
戦勝記念塔
ベルリン大聖堂
帝国航空省(現 ドイツ連邦財務省ビル)
テロ・トポグラフィー(国家秘密警察(ゲシュタポ)及び親衛隊(SS)跡地)
総統地下壕跡
DDR博物館
カイザー・ヴィルヘルム記念教会
メモリアル・トゥ・ザ・マーダード・ジューズ・オブ・ヨーロッパ
国会議事堂
ベルリン大学(現 フンボルト大学)
ベーベル広場(からっぽの図書館)
ツェツィーリエンホーフ宮殿
【利用した飲食店】

Konnopke's Imbiss
1930年創業の老舗カリーヴルスト店
手の平弱のパンが付いて2.2€は最安!

Starbucks
ブランデンブルク門前にある、
ベルリンでも一番の売上を誇るスターバックスw
テラス席もあり、眺めは最高☆

Witty's Currywurst
BIO(オーガニック)がウリのカリーヴルスト。
3.7€とお高めだが味は確か☆
皮なしと皮付きソーセージがあり、
皮なしは豚の腸が手に入らなかった東ドイツ市民苦肉の策だったとか・・・。

Restauration 1840
1840年創業のドイツ料理店。
森鴎外第三の下宿前、ハッケンシャーマルクト駅に隣接。
もしかしたら彼もここでビールを手にしたかも・・・( ´艸`)
【利用したお店】

AMPELMANN SHOP
東ドイツ時代の信号機「AMPELMANN」☆
激かわいいです(*ノェノ)キャー

(1887年berlin)
VEB orange
1960~1970年代の東ドイツ商品を扱うリサイクルショップ
見る人が見れば宝の山☆☆☆

NIVEA
なんと自分の顔写真入りの「NIVEA」が作れます(笑)
本来はブランデンブルク門と「I♡berlin」みたいなメッセージを入れるようですが、
良い思い出になりませんか?(^▽^;
旅の恥をかき捨ててはいけませんが、
オノボリさん丸出しで楽しむのはアリだと思いますっっ!!
(それでなくてもノリの悪い日本人なんだし(-.-;)
よってこんな写真も☆

(マダム・タッソーの蝋人形の館にて)
dm
日本で言うところのマツモトキヨシw
旅行中、一番のお気に入り店となりました☆☆☆

コンディトライブッフバルト
1852年創業の老舗お菓子屋。
ドイツのバームクーヘンは厳しい規定があり、200年の歴史を今に伝えています。
カフェが併設されており、バームクーヘンの他にも美味しそうなケーキがいただけます( ´艸`)
【参考資料】
<明治編>
「舞姫」森鴎外氏著
「鴎外の恋-舞姫エリスの真実-」六草いちか氏著
「それからのエリス-いま明らかになる鴎外「舞姫」の面影-」六草いちか氏著
「森鴎外の独逸日記 -鴎外文学の淵-」植田敏郎氏著
「鴎外・五人の女と二人の妻-もうひとつのヰタ・セクスアリス-」吉野俊彦氏著
「陽明丸と800人の子供たち」北室南苑氏著(未読)
「はいからさんが通る」大和和紀氏著
映画「舞姫」
映画「名探偵コナン~世紀末の魔術師~」
PSP「明治東京恋伽」
<戦中編>
「ヒトラー・コード」エーベル・H、ウール・M氏著
「ホロコースト全史」マイケル・ベーレンバウム氏著
「エヴァの時代」エヴァ・シュロッス氏著
「アンネの日記」アンネ・フランク嬢著
「ピンク・トライアングルの男たち-ナチ強制収容所を生き残ったあるゲイの記憶1939-1945」ハインツ・ベーガー氏著
「野戦病院でヒトラーに何があったのか―闇の二十八日間、催眠治療とその結果」ベルンハルト・ホルストマン氏著
「アドルフに告ぐ」手塚治虫氏著
「花と狼の帝国」藤田貴美・山下友美氏著
「Shang‐hai l945 2」森下久美氏著
「ジークフリート」森下久美氏著
「アンの世界地図」吟鳥子氏著
ドラマ「謀議」
映画「ホロコースト」
映画「ヒトラー 最後の12日間」
映画「シンドラーのリスト」
映画「聖なる嘘つき」
映画「ワルキューレ」
映画「クリムゾン・リバー」
<近代編>
「20世紀最後の真実-いまも戦い続けるナチスの残党-」落合信彦氏著
「モサド、その真実-世界最強のイスラエル諜報機関-」落合信彦氏著
「もうひとつのMONSTER―The investigative report-」ヴェルナー・ヴェーバー、浦沢直樹、長崎尚志 氏著
「砂の薔薇4」新谷かおる氏著
「MASTERキートン」浦沢直樹氏著
「MONSTER」浦沢直樹氏著
映画「ベルリン天使の詩」
映画「コロニア」
「映像の世紀」NHK
「新・映像の世紀」NHK
「アフター・ヒトラー」仏製作
【使用機材】
SONY RX-100
【加工機材】
GIMP2 3.0
【スペシャルサンクス!】
M夫妻

Song by Der Himmel über Berlin
【日程】
2017年8月9日(木)~8月17日(金)
【見学場所】
ブランデンブルク門
森鴎外第一の下宿(森鴎外記念館)
森鴎外第二の下宿(Berlin Carréショッピングモール内マクドナルド)
森鴎外第三の下宿(ハッケッシャー・マルクト クローゼ・プレジデンテン通り10番地)
ガルニソン教会広場
マリーエン教会
涙の宮殿
ベルリンの壁追悼記念館
オーバーバウム橋
イースト・サイド・ギャラリー
東駅蚤の市
博物館島蚤の市
戦勝記念塔
ベルリン大聖堂
帝国航空省(現 ドイツ連邦財務省ビル)
テロ・トポグラフィー(国家秘密警察(ゲシュタポ)及び親衛隊(SS)跡地)
総統地下壕跡
DDR博物館
カイザー・ヴィルヘルム記念教会
メモリアル・トゥ・ザ・マーダード・ジューズ・オブ・ヨーロッパ
国会議事堂
ベルリン大学(現 フンボルト大学)
ベーベル広場(からっぽの図書館)
ツェツィーリエンホーフ宮殿
【利用した飲食店】

Konnopke's Imbiss
1930年創業の老舗カリーヴルスト店
手の平弱のパンが付いて2.2€は最安!

Starbucks
ブランデンブルク門前にある、
ベルリンでも一番の売上を誇るスターバックスw
テラス席もあり、眺めは最高☆

Witty's Currywurst
BIO(オーガニック)がウリのカリーヴルスト。
3.7€とお高めだが味は確か☆
皮なしと皮付きソーセージがあり、
皮なしは豚の腸が手に入らなかった東ドイツ市民苦肉の策だったとか・・・。

Restauration 1840
1840年創業のドイツ料理店。
森鴎外第三の下宿前、ハッケンシャーマルクト駅に隣接。
もしかしたら彼もここでビールを手にしたかも・・・( ´艸`)
【利用したお店】

AMPELMANN SHOP
東ドイツ時代の信号機「AMPELMANN」☆
激かわいいです(*ノェノ)キャー

(1887年berlin)
VEB orange
1960~1970年代の東ドイツ商品を扱うリサイクルショップ
見る人が見れば宝の山☆☆☆

NIVEA
なんと自分の顔写真入りの「NIVEA」が作れます(笑)
本来はブランデンブルク門と「I♡berlin」みたいなメッセージを入れるようですが、
良い思い出になりませんか?(^▽^;
旅の恥をかき捨ててはいけませんが、
オノボリさん丸出しで楽しむのはアリだと思いますっっ!!
(それでなくてもノリの悪い日本人なんだし(-.-;)
よってこんな写真も☆

(マダム・タッソーの蝋人形の館にて)
dm
日本で言うところのマツモトキヨシw
旅行中、一番のお気に入り店となりました☆☆☆

コンディトライブッフバルト
1852年創業の老舗お菓子屋。
ドイツのバームクーヘンは厳しい規定があり、200年の歴史を今に伝えています。
カフェが併設されており、バームクーヘンの他にも美味しそうなケーキがいただけます( ´艸`)
【参考資料】
<明治編>
「舞姫」森鴎外氏著
「鴎外の恋-舞姫エリスの真実-」六草いちか氏著
「それからのエリス-いま明らかになる鴎外「舞姫」の面影-」六草いちか氏著
「森鴎外の独逸日記 -鴎外文学の淵-」植田敏郎氏著
「鴎外・五人の女と二人の妻-もうひとつのヰタ・セクスアリス-」吉野俊彦氏著
「陽明丸と800人の子供たち」北室南苑氏著(未読)
「はいからさんが通る」大和和紀氏著
映画「舞姫」
映画「名探偵コナン~世紀末の魔術師~」
PSP「明治東京恋伽」
<戦中編>
「ヒトラー・コード」エーベル・H、ウール・M氏著
「ホロコースト全史」マイケル・ベーレンバウム氏著
「エヴァの時代」エヴァ・シュロッス氏著
「アンネの日記」アンネ・フランク嬢著
「ピンク・トライアングルの男たち-ナチ強制収容所を生き残ったあるゲイの記憶1939-1945」ハインツ・ベーガー氏著
「野戦病院でヒトラーに何があったのか―闇の二十八日間、催眠治療とその結果」ベルンハルト・ホルストマン氏著
「アドルフに告ぐ」手塚治虫氏著
「花と狼の帝国」藤田貴美・山下友美氏著
「Shang‐hai l945 2」森下久美氏著
「ジークフリート」森下久美氏著
「アンの世界地図」吟鳥子氏著
ドラマ「謀議」
映画「ホロコースト」
映画「ヒトラー 最後の12日間」
映画「シンドラーのリスト」
映画「聖なる嘘つき」
映画「ワルキューレ」
映画「クリムゾン・リバー」
<近代編>
「20世紀最後の真実-いまも戦い続けるナチスの残党-」落合信彦氏著
「モサド、その真実-世界最強のイスラエル諜報機関-」落合信彦氏著
「もうひとつのMONSTER―The investigative report-」ヴェルナー・ヴェーバー、浦沢直樹、長崎尚志 氏著
「砂の薔薇4」新谷かおる氏著
「MASTERキートン」浦沢直樹氏著
「MONSTER」浦沢直樹氏著
映画「ベルリン天使の詩」
映画「コロニア」
「映像の世紀」NHK
「新・映像の世紀」NHK
「アフター・ヒトラー」仏製作
【使用機材】
SONY RX-100
【加工機材】
GIMP2 3.0
【スペシャルサンクス!】
M夫妻

Song by Der Himmel über Berlin
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| 2017-09-11 | Deutschland2017 | Comment : 0 | トラックバック : 0 |
独逸日記2017~帰してくれんかぁ!~ - 2017.09.08 Fri
2017年8月16日(水)、朝4時起きw
昨夜は早々に眠ろうとしたが、
色々心配事が重なって眠れずにいた。理由はコレ☆

パンッパン☆
来る時16kg台だったスーツケースが、
何故か? 22.3kgまで膨れ上がるwww
KLMは23kgまで無料だから、
後700g重かったらアウトだったわけだ(^▽^;
(もちろん1kg程度のオーバーは、
受付嬢の機嫌がよければ考慮されるw)
----------何が原因でこうも入れにくいンだろう(-.-;
冬場のプラハよりも荷物は少ないハズなのに(´Д⊂グスン
気候が不安定なベルリンで、
いくつかのコートを入れてきたせいだろうか?
それとも一泊余分に(前泊入りしたせいw)あるのが問題なんだろうか・・・。
それでも7泊分だしなw
大した量じゃないw
うんうん唸っても量が減るわけじゃないw
機内持ち込みするほどの根性もないwww
(色々面倒だしw)
結局、上から押し乗って無理やり鍵をかけることに成功した午前6時、
ガイド夫妻に見送られながら、
最後まで(苦笑)開けにくかった扉に手をかけた。
色んなことを教えてくれた。
ベルリンでのゴミ事情、政治的背景、
食べるものに敏感なベルリン市民が、
「BIO」というオーガニック商品を好んで買うことを知った。
沢山の水を必要とする私に、
ベルリンの水道水が飲めることを教えてくれたのもガイドさんだった。
沢山お礼を言って、別れたつもりだった。
朝が早くてテンパってたことと、
ガイドさん自身がこの時期、
大変忙しかったこともあってなかなかゆっくりできなかったケド(^▽^;
それでも楽しい時間だった。
まるで雑誌に出てきそうな台所での食事。
綺麗に整えられた食器はどれも好きに使っていいとは言われたが、
なかなかその機会に恵まれないまま帰国になった(-.-;
夜明けの薄明かりをじっと見つめた窓。
2006年とはちょっと違った風景---------、
重い重いスーツケースは旦那様が運んでくれた。
日本語を解さない旦那様に、
ドイツ語がまったく解らないなりに、
精一杯の感謝を述べて別れる。
また、来てみたい。この国に、
また、来てみたい。この街に----------。
いいなぁと、純粋に思う。
何がどう、というわけではないけれど、
今度は観光ではなく、「住む」みたいにこの街を歩いてみたい。
そんな贅沢な野望がムクムクと首をもたげてくるw
スーツケースは重かったw
入国時よりも一段と重く感じるのはやはり、
6日分の疲れがたまっているからなのだろうw
大通りに出てきた。鉄道とは逆の道だ。
バスでZoo駅まで出て、TXLに乗り換えてテーゲル空港まで。
バス停で確認していると・・・・・・・、
対向車線からバスが行くとかねwww
最後の最後までコレですよ(^▽^;
そう! もうおわかりですね!?
今、見ているバス停ではなく、
向こう側のバス停から乗らないとZoo駅には行かないわけだ。゚(゚´Д`゚)゚。
ほんっとに・・・(#^ω^)
今回イヤっていうくらい右側通行の「洗礼」を受けました(-.-;
どーでもいいです(ヤケw)
気がついて大慌てで走るも、目の前で信号機に捕まりましてw
その後、20分も待つことになりました(´Д⊂グスン
(Zoo駅前にある36'sというカレーヴルストのお店では、
結局、食べることが出来なかったなぁ~(´Д⊂グスン)
問題なくテーゲル空港までたどり着いたw
国外に多く旅はしているが、
空港への往路復路共にタクシーを使わなかったことなんて初めてだ(びっくりw)
鉄道はどこも階段が多く、重いスーツケースを持っては無理なのである。
バスがこんなに楽だなんて・・・思わなかったなぁ~(^▽^;
来た時と同じ√で空港に入った。
バスチケット売り場には人がいない。
誰か来たらどーすンだ?(笑)
電光掲示板で便を確認しようとするが、
あるわけがないわなw 2時間以上も先だしw
仕方ないのでいくつかあったパネルを確認するも・・・・・、
あれ? 書かれてないぞ??
おっかしーなー?? カウンターはそろそろ開いててもおかしくないンだけど・・・・???
キョロキョロと辺りを見渡した。もう一度KLM便を確認する。
共同運航便のナンバーが記載されている場合があるからだ。
よくよく見てみると・・・・・、
あった。Dゲートだ。
しかし今度はDゲートが見つからないw
あるのはABゲートや、ドイツの大手航空会社、
ルフトハンザの自己主張の強い看板のみ(^▽^;
一体どこにあるというのだろう??
ローマ、レオナルドダヴィンチ空港の例もある。
ターミナルが違うのだろうか・・・と思っていたら・・・・、
案の定、建物外ですw
一度、外に出てDゲートに入り直します(^▽^;
KLMのチェックインカウンターはDゲート塔にあり、
セルフチェックインが可能なので言葉が出来なくてもokwww
・・・・セルフチェックインする人はあまりいないみたい。
係員の男性が「へー」みたいな顔していました。
簡単な(w)ボディチェックを受け、
何を疑われたのか左足だけぺったり触られw
抜けた先にあったのは、地方空港というよりも、地方駅といった待合でした。
重い荷物もなくなり、空港の無料Wi-Fiも使えるので、
ガイドさんに無事空港へ着いたことのご報告。
これで後はもう飛行機に乗るだけだ♪などとタカをくくっていたら・・・・・・・・・・、
飛ばないとかねwwww
いや、正確には飛ばないわけじゃないンです。
9時05分のフライトゲートが開かないだけw
次発便であるフランス行きのゲートはもう開きそうなのに、
何故か? D74ゲートだけ開かない。
・・・・・イヤな予感がした・・・・・(滝汗)
またか? またなのか!??!?。゚(゚´Д`゚)゚。
9時が過ぎ、30分、40分と経つうちに、
周囲からもゾロゾロ人が集まってきた。
そりゃそーだ☆ゲートが開かないンだから(^▽^;
カウンターは詰め寄る客の対応に追われていた。
英国の某ゲートなんて質問攻めにあうのを嫌ってゲート閉鎖したくらいなのに、
ドイツは真面目に対応してくれるなぁ♪
などと悠長なコトを言っている暇はないっ!!!(# ゚Д゚)ゴルァ!!!!
現在の時間、9時50分!!!
ベルリンからアムステルダムへの飛行時間は1時間半!
そしてアムスから関空への飛行機は、現地時間で14時40分には出てしまうのであるっ!!
(しかもゲートが閉まるのは10~15分前!!
それまでに滑り込まなければアウト☆)
日本のように待ってはくれないのだ。
10時が近づいた---------、
カウンターは相変わらず電話している人や客の質問攻めにあっている人など忙しい。
近づいてみた。
飛ばないと困るからである(^▽^;
すぐ前の中東系と思しきご夫妻は、
目が合うと「困ったねー」みたいな顔で眉を下げてくれる。
何か情報を仕入れてきただろう女性は、チケットを見て、
「後、15分くらいかかるらしいわよ」と教えてくれた。
「フィフティーン、ミニッツ!?」
思わずそう叫んでしまったのにはワケがある。
彼女の言う15分を、50分と勘違いしたのだ。
今、思えば彼女が不思議そうな顔をしていた理由が分かる(-.-;
ごめんなさい、聞き間違いですwwww
結果的に言うと-----------、
飛行機は飛んだ。一時間半遅れでwwww
理由は飛行機の整備不良とか、それによる機材ぐりの関係とか言われていたが、
定かではない(^-^;
ゲートが開くといの一番に飛び込んだが、
飛行場は土砂降りでw
タラップまで全力疾走させられた(-.-;
席はなんと緊急用出口の隣だった。
しかも窓側w
言葉の出来ない日本人にこの席を割り振るKLMの感覚がよく解らないゾ???(苦笑)
困っていると隣の席と思しき男性が、
「席を変わってくれない?」と持ちかけてきた。
国内(シェンゲン協定)便にはこうした席の移動依頼がよくある。
(トルコ-アムス間でもあったなw)
どうやら彼女と席が別れてしまったらしいのだ。
余談ではあるが---------、
数年前までKLMは席のチョイスが無料だった。
だからこそkLMを利用していたのだが、
2016年から「有料」になったようで、
私の場合、全4便を合わせると小一万ほども余分にかかるw
だから皆、席を指定せずその場で「交渉」するわけだ。
快く応じ、通路側の席についた。隣はご家族連れだったように思う。
1時間半のフライトは1時間に短縮されたw
どこをどう飛んだのかは不明だが、
案外、急げば一時間で着くところを、
出力や省エネの関係でゆっくり飛んでいるのかもしれない(^^;
ともあれ、乗継便には何とか間に合った。ところが---------、
まさかの40分遅延www
理由はスキポール空港上にかかった濃霧だ。
時折、この濃霧でフライトスケジュールが混乱することがあるが、
EUでも有数のハブ空港であるスキポールで起こったからさあ大変w
上空には国際線国内線入り乱れての大混雑になっていたらしいのだ。
40分遅延の理由はEU国内から飛んでくる飛行機の遅れ☆
さすが日本人を抱えて飛ぶ飛行機だけに放置出来なかったとみえるw
40分遅れで飛んだ飛行機は、無事、遼東半島を抜けた。

日本ではこの頃、
隣国がグアムにミサイルを飛ばすだ飛ばさないだで騒ぎになっており、
2017年7月28日羽田発パリ行エールフランス293便が、
ICBMとニアミスした事件もあり、連日ニュースになっていたらしい。
そんなことなど露知らずw
のんきにフライト時間のほとんどを寝て過ごした私は、
見事なエコノミー症候群にかかって体中バッキバキになったのは言うまでもない(-.-;
ドイツ、ベルリン-------------。
東側陣営崩壊の幕開けとなった1989年はすでに「歴史」となった。
歓喜に湧いていた人々は姿を消し、今でも東ドイツ領域は開発が滞ったままでいる。
環境問題、難民問題、極右政党の台頭。
渦巻く憎悪が引き起こすテロリズムは、
尊大な意思を掲げる「老舗」が鳴りを潜め、統括されないままに分散化し、
日本人を代表とする「ソフトターゲット」に照準を合わせつつある。
イスタンブルが東西の玄関口なら、
ベルリンは南北の玄関口だった。
しかし今、その真価をドイツにのみ問うのは間違っていると言わざるを得ない。
より多くの国々が、譲り合ってでも解決策を練る時が来ている。
そう強く感じる旅になった----------。
【追伸】

・・・・メール着たの2017年8月17日午後11時38分ですよっっ(# ゚Д゚)
遅いっっっっ!!!
昨夜は早々に眠ろうとしたが、
色々心配事が重なって眠れずにいた。理由はコレ☆

パンッパン☆
来る時16kg台だったスーツケースが、
何故か? 22.3kgまで膨れ上がるwww
KLMは23kgまで無料だから、
後700g重かったらアウトだったわけだ(^▽^;
(もちろん1kg程度のオーバーは、
受付嬢の機嫌がよければ考慮されるw)
----------何が原因でこうも入れにくいンだろう(-.-;
冬場のプラハよりも荷物は少ないハズなのに(´Д⊂グスン
気候が不安定なベルリンで、
いくつかのコートを入れてきたせいだろうか?
それとも一泊余分に(前泊入りしたせいw)あるのが問題なんだろうか・・・。
それでも7泊分だしなw
大した量じゃないw
うんうん唸っても量が減るわけじゃないw
機内持ち込みするほどの根性もないwww
(色々面倒だしw)
結局、上から押し乗って無理やり鍵をかけることに成功した午前6時、
ガイド夫妻に見送られながら、
最後まで(苦笑)開けにくかった扉に手をかけた。
色んなことを教えてくれた。
ベルリンでのゴミ事情、政治的背景、
食べるものに敏感なベルリン市民が、
「BIO」というオーガニック商品を好んで買うことを知った。
沢山の水を必要とする私に、
ベルリンの水道水が飲めることを教えてくれたのもガイドさんだった。
沢山お礼を言って、別れたつもりだった。
朝が早くてテンパってたことと、
ガイドさん自身がこの時期、
大変忙しかったこともあってなかなかゆっくりできなかったケド(^▽^;
それでも楽しい時間だった。
まるで雑誌に出てきそうな台所での食事。
綺麗に整えられた食器はどれも好きに使っていいとは言われたが、
なかなかその機会に恵まれないまま帰国になった(-.-;
夜明けの薄明かりをじっと見つめた窓。
2006年とはちょっと違った風景---------、
重い重いスーツケースは旦那様が運んでくれた。
日本語を解さない旦那様に、
ドイツ語がまったく解らないなりに、
精一杯の感謝を述べて別れる。
また、来てみたい。この国に、
また、来てみたい。この街に----------。
いいなぁと、純粋に思う。
何がどう、というわけではないけれど、
今度は観光ではなく、「住む」みたいにこの街を歩いてみたい。
そんな贅沢な野望がムクムクと首をもたげてくるw
スーツケースは重かったw
入国時よりも一段と重く感じるのはやはり、
6日分の疲れがたまっているからなのだろうw
大通りに出てきた。鉄道とは逆の道だ。
バスでZoo駅まで出て、TXLに乗り換えてテーゲル空港まで。
バス停で確認していると・・・・・・・、
対向車線からバスが行くとかねwww
最後の最後までコレですよ(^▽^;
そう! もうおわかりですね!?
今、見ているバス停ではなく、
向こう側のバス停から乗らないとZoo駅には行かないわけだ。゚(゚´Д`゚)゚。
ほんっとに・・・(#^ω^)
今回イヤっていうくらい右側通行の「洗礼」を受けました(-.-;
どーでもいいです(ヤケw)
気がついて大慌てで走るも、目の前で信号機に捕まりましてw
その後、20分も待つことになりました(´Д⊂グスン
(Zoo駅前にある36'sというカレーヴルストのお店では、
結局、食べることが出来なかったなぁ~(´Д⊂グスン)
問題なくテーゲル空港までたどり着いたw
国外に多く旅はしているが、
空港への往路復路共にタクシーを使わなかったことなんて初めてだ(びっくりw)
鉄道はどこも階段が多く、重いスーツケースを持っては無理なのである。
バスがこんなに楽だなんて・・・思わなかったなぁ~(^▽^;
来た時と同じ√で空港に入った。
バスチケット売り場には人がいない。
誰か来たらどーすンだ?(笑)
電光掲示板で便を確認しようとするが、
あるわけがないわなw 2時間以上も先だしw
仕方ないのでいくつかあったパネルを確認するも・・・・・、
あれ? 書かれてないぞ??
おっかしーなー?? カウンターはそろそろ開いててもおかしくないンだけど・・・・???
キョロキョロと辺りを見渡した。もう一度KLM便を確認する。
共同運航便のナンバーが記載されている場合があるからだ。
よくよく見てみると・・・・・、
あった。Dゲートだ。
しかし今度はDゲートが見つからないw
あるのはABゲートや、ドイツの大手航空会社、
ルフトハンザの自己主張の強い看板のみ(^▽^;
一体どこにあるというのだろう??
ローマ、レオナルドダヴィンチ空港の例もある。
ターミナルが違うのだろうか・・・と思っていたら・・・・、
案の定、建物外ですw
一度、外に出てDゲートに入り直します(^▽^;
KLMのチェックインカウンターはDゲート塔にあり、
セルフチェックインが可能なので言葉が出来なくてもokwww
・・・・セルフチェックインする人はあまりいないみたい。
係員の男性が「へー」みたいな顔していました。
簡単な(w)ボディチェックを受け、
何を疑われたのか左足だけぺったり触られw
抜けた先にあったのは、地方空港というよりも、地方駅といった待合でした。
重い荷物もなくなり、空港の無料Wi-Fiも使えるので、
ガイドさんに無事空港へ着いたことのご報告。
これで後はもう飛行機に乗るだけだ♪などとタカをくくっていたら・・・・・・・・・・、
飛ばないとかねwwww
いや、正確には飛ばないわけじゃないンです。
9時05分のフライトゲートが開かないだけw
次発便であるフランス行きのゲートはもう開きそうなのに、
何故か? D74ゲートだけ開かない。
・・・・・イヤな予感がした・・・・・(滝汗)
またか? またなのか!??!?。゚(゚´Д`゚)゚。
9時が過ぎ、30分、40分と経つうちに、
周囲からもゾロゾロ人が集まってきた。
そりゃそーだ☆ゲートが開かないンだから(^▽^;
カウンターは詰め寄る客の対応に追われていた。
英国の某ゲートなんて質問攻めにあうのを嫌ってゲート閉鎖したくらいなのに、
ドイツは真面目に対応してくれるなぁ♪
などと悠長なコトを言っている暇はないっ!!!(# ゚Д゚)ゴルァ!!!!
現在の時間、9時50分!!!
ベルリンからアムステルダムへの飛行時間は1時間半!
そしてアムスから関空への飛行機は、現地時間で14時40分には出てしまうのであるっ!!
(しかもゲートが閉まるのは10~15分前!!
それまでに滑り込まなければアウト☆)
日本のように待ってはくれないのだ。
10時が近づいた---------、
カウンターは相変わらず電話している人や客の質問攻めにあっている人など忙しい。
近づいてみた。
飛ばないと困るからである(^▽^;
すぐ前の中東系と思しきご夫妻は、
目が合うと「困ったねー」みたいな顔で眉を下げてくれる。
何か情報を仕入れてきただろう女性は、チケットを見て、
「後、15分くらいかかるらしいわよ」と教えてくれた。
「フィフティーン、ミニッツ!?」
思わずそう叫んでしまったのにはワケがある。
彼女の言う15分を、50分と勘違いしたのだ。
今、思えば彼女が不思議そうな顔をしていた理由が分かる(-.-;
ごめんなさい、聞き間違いですwwww
結果的に言うと-----------、
飛行機は飛んだ。一時間半遅れでwwww
理由は飛行機の整備不良とか、それによる機材ぐりの関係とか言われていたが、
定かではない(^-^;
ゲートが開くといの一番に飛び込んだが、
飛行場は土砂降りでw
タラップまで全力疾走させられた(-.-;
席はなんと緊急用出口の隣だった。
しかも窓側w
言葉の出来ない日本人にこの席を割り振るKLMの感覚がよく解らないゾ???(苦笑)
困っていると隣の席と思しき男性が、
「席を変わってくれない?」と持ちかけてきた。
国内(シェンゲン協定)便にはこうした席の移動依頼がよくある。
(トルコ-アムス間でもあったなw)
どうやら彼女と席が別れてしまったらしいのだ。
余談ではあるが---------、
数年前までKLMは席のチョイスが無料だった。
だからこそkLMを利用していたのだが、
2016年から「有料」になったようで、
私の場合、全4便を合わせると小一万ほども余分にかかるw
だから皆、席を指定せずその場で「交渉」するわけだ。
快く応じ、通路側の席についた。隣はご家族連れだったように思う。
1時間半のフライトは1時間に短縮されたw
どこをどう飛んだのかは不明だが、
案外、急げば一時間で着くところを、
出力や省エネの関係でゆっくり飛んでいるのかもしれない(^^;
ともあれ、乗継便には何とか間に合った。ところが---------、
まさかの40分遅延www
理由はスキポール空港上にかかった濃霧だ。
時折、この濃霧でフライトスケジュールが混乱することがあるが、
EUでも有数のハブ空港であるスキポールで起こったからさあ大変w
上空には国際線国内線入り乱れての大混雑になっていたらしいのだ。
40分遅延の理由はEU国内から飛んでくる飛行機の遅れ☆
さすが日本人を抱えて飛ぶ飛行機だけに放置出来なかったとみえるw
40分遅れで飛んだ飛行機は、無事、遼東半島を抜けた。

日本ではこの頃、
隣国がグアムにミサイルを飛ばすだ飛ばさないだで騒ぎになっており、
2017年7月28日羽田発パリ行エールフランス293便が、
ICBMとニアミスした事件もあり、連日ニュースになっていたらしい。
そんなことなど露知らずw
のんきにフライト時間のほとんどを寝て過ごした私は、
見事なエコノミー症候群にかかって体中バッキバキになったのは言うまでもない(-.-;
ドイツ、ベルリン-------------。
東側陣営崩壊の幕開けとなった1989年はすでに「歴史」となった。
歓喜に湧いていた人々は姿を消し、今でも東ドイツ領域は開発が滞ったままでいる。
環境問題、難民問題、極右政党の台頭。
渦巻く憎悪が引き起こすテロリズムは、
尊大な意思を掲げる「老舗」が鳴りを潜め、統括されないままに分散化し、
日本人を代表とする「ソフトターゲット」に照準を合わせつつある。
イスタンブルが東西の玄関口なら、
ベルリンは南北の玄関口だった。
しかし今、その真価をドイツにのみ問うのは間違っていると言わざるを得ない。
より多くの国々が、譲り合ってでも解決策を練る時が来ている。
そう強く感じる旅になった----------。
【追伸】

・・・・メール着たの2017年8月17日午後11時38分ですよっっ(# ゚Д゚)
遅いっっっっ!!!
| 2017-09-08 | Deutschland2017 | Comment : 0 | トラックバック : 0 |
独逸日記2017~帰郷~ - 2017.09.07 Thu
2017年8月15日(火)--------、
ベルリンにも随分慣れた(ドイツに、ではないw)。
ポツダムからの帰路、
電車で激しく居眠りするくらいにはwww
いや~・・・・、
慣れって怖いですねw
あれっだけ☆電車を怖がって、
(もっとも電車に関してのみ方向音痴だからという理由もありますが(^^;)
行く先々の電車で、「ここは何駅、次は何駅」なんて、
確認しながら乗っていたのが嘘みたいですw
渡航前、不安にかられていたベルリンの治安は、
周辺諸国とは違って酷くよかった。
警察はマシンガンを吊り下げてはおらず、
もちろん、トリガーに指をかけることもしていない。
(そういえば今回スキポール空港でもマシンガンを見なかったなw)
電車では歌うたいが歌を歌い、
息子とおぼしき子供が金を集めて回っている。
かと思えば新聞を片手に売り歩く者もいる。
入れ替わり立ち代り、
「電車」が「職場」になっている人々を横目についうとうとしていて.....、
ハッと気づいて「・・・・・っ!!(ココ、ドコ!?)」と、
キョドったのはココだけの話(^▽^;
駅名を確認するとハッケンシャーマルクト駅まで後3つってところまできていた!!
・・・・・・・・・ホント、慣れって怖いです(-.-;
電車を降りると「いつもの」風景だった。
ホッとするような、不思議な感覚w
それも今日で最後なので切ない気分になる☆
あれだけ来たかった鴎外の愛したベルリンの地、
最後にドイツビールなどと洒落込んでみたいが、
どうにも言葉が不案内なので怖くて仕方ない(苦笑)
不意に-------、
ハンプティダンプティがコックさんの衣装を着たようなw
ふくよかな男性と目があった。
「××××?」
・・・・・・・?
何か言ってる(^▽^;
(私の語学力なんてこの程度だw)
メニュー看板を見ていたから、
「お食事ですか?」とかでも聞いているのかもしれない。
逡巡しているとニコニコ笑って、手招きしてくれる。
「ぇ? え?」とは思いつつも、ついていってみる(笑)
昼間だし、看板には大した金額のモノは書かれていなかったしw
旅の最後、まぁサイフの中身をカラにするくらいの勢いでついていったわけだ(^▽^;

(お店の呼び込み?だったお兄さんw
席につかせると何事もなかったかのように仕事に戻られました(^▽^;)
注文を取りに来た別のお兄さんにビールを注文☆
(メニューなんざ見ても読めませんw)
「ビール下さい」
「?」
「・・・ビア、下さい」
「Oh! 普通の? それとも小さいヤツ?」
「小さいのでw」
-----------さすがにもう年齢を聞かれる年じゃありませんねw
ロスに行った時にはまだ若かったので、
どんなにお酒を注文しても訝しげに見られたものでしたが(^^;
年齢を重ねるとイイコトもあるらしい( ´艸`)

鴎外の住んだ街で、
鴎外の時代からあった店の、
鴎外が飲んだかもしれないビールを飲む。
至福( ´艸`)
ハンプティダンプティが忙しく観光客に声をかけている。
ベルリンに来て何が嬉しいって、座って食べてもローマほど高くないし、
何よりぼったくられないw
おまけにイスタンブルのように、いかにも日本人をカモにしよう!みたいな、
呼び込みやキャッチーが激しくない!
・・・・・・・正直、観光地にはアレが多くて、
有名なグランバザールに足を踏み入れられなかった経験すらある(-.-;
ベルリンはある意味、「観光地」ではない為か、
殺伐とした感じはあるものの、
「どこにでもある」ような「都市」の印象があった。
住みやすい街、ベルリン---------。
落書きだらけの壁から朝まで漏れ響くクラブ音楽。
若者がその若さを爆発させる街。

朝8時台の電車に酔っ払いが酒瓶を抱いて寝ているような街w
どこか懐かしいような、昭和40年代を彷彿とさせるベルリンの街は、
僅か30年弱前まで分断された街だった。
壁の向こう側には、更に分厚い鉄のカーテンが降り、
東側市民は決死の覚悟で数mの壁を乗り越えようとした。
しかし西ベルリン市民は・・・・・・・・、
現地に行かないと解らないことがある。
自国で見聞きした情報はある意味正しくないことが分かった。
騙された・・・とまでは言わないが、
それは誰かにとって都合が良く、耳に心地の良いもの。
つまり私達に信じさせたい歴史であったことがわかる。
乾いた喉にビールが心地の良かった。
水分を取っていなかったこと、
空きっ腹であったことから酔いが急激に回り、
目の前の風景はぐるぐる回り始める。
気持ちのよい風が吹いてくる。
目の前には怖がりもしないスズメ達がパンくずを虎視眈々と狙っていた。
1887年から--------、
変わらない人々の営みの中に、
自分もまたいるのだと思うと楽しくて仕方なかった(*ノェノ)
(酔っ払いw)
酔いを十二分に覚ましてからw
再びあるき始めた(^▽^;
フリードリヒシュトラーセ駅まで戻り、
「いつもの」カリーヴルストを食べる( ´艸`)

こんなに美味しいのに、お土産として持って帰れないのは残念(-.-;
しかし噂によるとうっかりソーセージの瓶をスーツケースに入れていた女性が、
税関であらぬ疑いをかけられ、
素っ裸にされた挙句、とんでもない場所まで調べられたとあれば、
さすがに手も出ないというもの(´Д⊂グスン
乳製品と精肉加工商品はすっごい美味しいのに残念っっ!!ヽ(`Д´#)ノ ムキー!!
dmに寄ってお買い物♪
実はワタクシ、結構なカエル好き( ´艸`)
カーミットなんていいですね~(苦笑)
ここで「フロッシュ」なる洗剤とか、
ふっくらとした機能性を疑う洗濯バサミとかw
dmのロゴが入ったエコバッグなど購入☆
何に使うンだって話ですが、
結局、庶民的なんですよ(-.-; ええ、そうなんです☆
ウンター・デン・リンデンまで出てきた。
フンボルト大学では蚤の市が立っている。

古本がほとんどですが、中には・・・・・・・・・、

( ゚ェ゚)・;'.、ゴフッ
自国の首相の風刺画が!!!Σ(゚д゚|||)
これ・・・アリなの?!
日本でいうと、某首相の半裸ってことですよね???
(控えめな表現w)
ちなみにホンモノは隠されていませんw
加工しました・・・、個人的に・・・やっぱりマズいと思ったので(^^;
いかにも「合成」と分かるテイで「風刺」しているわけですよね?
内容は「Merkel zerstort Islamischen Staat」。
様々な意見があり、それを自由に表現出来る。
それがドイツにはあるのだと、
過去の教訓からそれがいかに大事かを痛切に思い起こさせる一枚です。
(買って帰りませんでしたけどねw)
2017年9月にはドイツ連邦議会選挙が行われます。
11年という長期政権を維持してきたメルケル首相率いる保守系与党連合。
(キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU))
2015年に起こった欧州難民問題の政策により、その真価が問われていると聞きます。
西ドイツに生まれ、東ベルリンで育ったメルケル首相。
「コールのお嬢さん」と揶揄されながらも毅然とした態度でドイツを率いたこの女性が、
結構好きなんですが、どうでしょう(^^)
ここで赤の市庁舎近くのクロスター通りとパロヒアル通りの交差、
Parochialstraßeを写し取った写真と、
ベルリン大聖堂を南下(?)した場所にあるJungfernbrücke橋を写した写真を購入。
各3€。合計で6€なわけだが、
ここでちょっとイタズラ心が働いた( ´艸`)
蚤の市で値切ったことがなかったので、
チャレンジしてみようと画策したわけだw
電話で忙しいお兄さんにカードを見せる。
お兄さんは「6€だ」とゼスチャーで応えてくれる。
5€札を取り出し、尻のポケットから1€を出そうとしたところで、
「5€でいいよ」というかのように札を受け取ってくれた♪
値切り、成功(*ノェノ)キャー
また同市ではナチス・ドイツ時代の身分証明書と思しき労働者手帳のような品もあり、
個人で持たれていたらしい書き込みもされていたが、
20€という高額の為断念したw
・・・・自分の目利きには自信がない為、
買っても5€までと決めていたから・・・・(苦笑)
ベルリンにも随分慣れた(ドイツに、ではないw)。
ポツダムからの帰路、
電車で激しく居眠りするくらいにはwww
いや~・・・・、
慣れって怖いですねw
あれっだけ☆電車を怖がって、
(もっとも電車に関してのみ方向音痴だからという理由もありますが(^^;)
行く先々の電車で、「ここは何駅、次は何駅」なんて、
確認しながら乗っていたのが嘘みたいですw
渡航前、不安にかられていたベルリンの治安は、
周辺諸国とは違って酷くよかった。
警察はマシンガンを吊り下げてはおらず、
もちろん、トリガーに指をかけることもしていない。
(そういえば今回スキポール空港でもマシンガンを見なかったなw)
電車では歌うたいが歌を歌い、
息子とおぼしき子供が金を集めて回っている。
かと思えば新聞を片手に売り歩く者もいる。
入れ替わり立ち代り、
「電車」が「職場」になっている人々を横目についうとうとしていて.....、
ハッと気づいて「・・・・・っ!!(ココ、ドコ!?)」と、
キョドったのはココだけの話(^▽^;
駅名を確認するとハッケンシャーマルクト駅まで後3つってところまできていた!!
・・・・・・・・・ホント、慣れって怖いです(-.-;
電車を降りると「いつもの」風景だった。
ホッとするような、不思議な感覚w
それも今日で最後なので切ない気分になる☆
あれだけ来たかった鴎外の愛したベルリンの地、
最後にドイツビールなどと洒落込んでみたいが、
どうにも言葉が不案内なので怖くて仕方ない(苦笑)
不意に-------、
ハンプティダンプティがコックさんの衣装を着たようなw
ふくよかな男性と目があった。
「××××?」
・・・・・・・?
何か言ってる(^▽^;
(私の語学力なんてこの程度だw)
メニュー看板を見ていたから、
「お食事ですか?」とかでも聞いているのかもしれない。
逡巡しているとニコニコ笑って、手招きしてくれる。
「ぇ? え?」とは思いつつも、ついていってみる(笑)
昼間だし、看板には大した金額のモノは書かれていなかったしw
旅の最後、まぁサイフの中身をカラにするくらいの勢いでついていったわけだ(^▽^;

(お店の呼び込み?だったお兄さんw
席につかせると何事もなかったかのように仕事に戻られました(^▽^;)
注文を取りに来た別のお兄さんにビールを注文☆
(メニューなんざ見ても読めませんw)
「ビール下さい」
「?」
「・・・ビア、下さい」
「Oh! 普通の? それとも小さいヤツ?」
「小さいのでw」
-----------さすがにもう年齢を聞かれる年じゃありませんねw
ロスに行った時にはまだ若かったので、
どんなにお酒を注文しても訝しげに見られたものでしたが(^^;
年齢を重ねるとイイコトもあるらしい( ´艸`)

鴎外の住んだ街で、
鴎外の時代からあった店の、
鴎外が飲んだかもしれないビールを飲む。
至福( ´艸`)
ハンプティダンプティが忙しく観光客に声をかけている。
ベルリンに来て何が嬉しいって、座って食べてもローマほど高くないし、
何よりぼったくられないw
おまけにイスタンブルのように、いかにも日本人をカモにしよう!みたいな、
呼び込みやキャッチーが激しくない!
・・・・・・・正直、観光地にはアレが多くて、
有名なグランバザールに足を踏み入れられなかった経験すらある(-.-;
ベルリンはある意味、「観光地」ではない為か、
殺伐とした感じはあるものの、
「どこにでもある」ような「都市」の印象があった。
住みやすい街、ベルリン---------。
落書きだらけの壁から朝まで漏れ響くクラブ音楽。
若者がその若さを爆発させる街。

朝8時台の電車に酔っ払いが酒瓶を抱いて寝ているような街w
どこか懐かしいような、昭和40年代を彷彿とさせるベルリンの街は、
僅か30年弱前まで分断された街だった。
壁の向こう側には、更に分厚い鉄のカーテンが降り、
東側市民は決死の覚悟で数mの壁を乗り越えようとした。
しかし西ベルリン市民は・・・・・・・・、
現地に行かないと解らないことがある。
自国で見聞きした情報はある意味正しくないことが分かった。
騙された・・・とまでは言わないが、
それは誰かにとって都合が良く、耳に心地の良いもの。
つまり私達に信じさせたい歴史であったことがわかる。
乾いた喉にビールが心地の良かった。
水分を取っていなかったこと、
空きっ腹であったことから酔いが急激に回り、
目の前の風景はぐるぐる回り始める。
気持ちのよい風が吹いてくる。
目の前には怖がりもしないスズメ達がパンくずを虎視眈々と狙っていた。
1887年から--------、
変わらない人々の営みの中に、
自分もまたいるのだと思うと楽しくて仕方なかった(*ノェノ)
(酔っ払いw)
酔いを十二分に覚ましてからw
再びあるき始めた(^▽^;
フリードリヒシュトラーセ駅まで戻り、
「いつもの」カリーヴルストを食べる( ´艸`)

こんなに美味しいのに、お土産として持って帰れないのは残念(-.-;
しかし噂によるとうっかりソーセージの瓶をスーツケースに入れていた女性が、
税関であらぬ疑いをかけられ、
素っ裸にされた挙句、とんでもない場所まで調べられたとあれば、
さすがに手も出ないというもの(´Д⊂グスン
乳製品と精肉加工商品はすっごい美味しいのに残念っっ!!ヽ(`Д´#)ノ ムキー!!
dmに寄ってお買い物♪
実はワタクシ、結構なカエル好き( ´艸`)
カーミットなんていいですね~(苦笑)
ここで「フロッシュ」なる洗剤とか、
ふっくらとした機能性を疑う洗濯バサミとかw
dmのロゴが入ったエコバッグなど購入☆
何に使うンだって話ですが、
結局、庶民的なんですよ(-.-; ええ、そうなんです☆
ウンター・デン・リンデンまで出てきた。
フンボルト大学では蚤の市が立っている。

古本がほとんどですが、中には・・・・・・・・・、

( ゚ェ゚)・;'.、ゴフッ
自国の首相の風刺画が!!!Σ(゚д゚|||)
これ・・・アリなの?!
日本でいうと、某首相の半裸ってことですよね???
(控えめな表現w)
ちなみにホンモノは隠されていませんw
加工しました・・・、個人的に・・・やっぱりマズいと思ったので(^^;
いかにも「合成」と分かるテイで「風刺」しているわけですよね?
内容は「Merkel zerstort Islamischen Staat」。
様々な意見があり、それを自由に表現出来る。
それがドイツにはあるのだと、
過去の教訓からそれがいかに大事かを痛切に思い起こさせる一枚です。
(買って帰りませんでしたけどねw)
2017年9月にはドイツ連邦議会選挙が行われます。
11年という長期政権を維持してきたメルケル首相率いる保守系与党連合。
(キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU))
2015年に起こった欧州難民問題の政策により、その真価が問われていると聞きます。
西ドイツに生まれ、東ベルリンで育ったメルケル首相。
「コールのお嬢さん」と揶揄されながらも毅然とした態度でドイツを率いたこの女性が、
結構好きなんですが、どうでしょう(^^)
ここで赤の市庁舎近くのクロスター通りとパロヒアル通りの交差、
Parochialstraßeを写し取った写真と、
ベルリン大聖堂を南下(?)した場所にあるJungfernbrücke橋を写した写真を購入。
各3€。合計で6€なわけだが、
ここでちょっとイタズラ心が働いた( ´艸`)
蚤の市で値切ったことがなかったので、
チャレンジしてみようと画策したわけだw
電話で忙しいお兄さんにカードを見せる。
お兄さんは「6€だ」とゼスチャーで応えてくれる。
5€札を取り出し、尻のポケットから1€を出そうとしたところで、
「5€でいいよ」というかのように札を受け取ってくれた♪
値切り、成功(*ノェノ)キャー
また同市ではナチス・ドイツ時代の身分証明書と思しき労働者手帳のような品もあり、
個人で持たれていたらしい書き込みもされていたが、
20€という高額の為断念したw
・・・・自分の目利きには自信がない為、
買っても5€までと決めていたから・・・・(苦笑)
| 2017-09-07 | Deutschland2017 | Comment : 0 | トラックバック : 0 |
独逸日記2017~1945年、そして・・・・~ - 2017.09.06 Wed
2017年8月15日(火)午後-------、
フリードリヒシュトラーセ駅でRE1という電車を待っていた。
路線図によるとRE1という電車は、
ポツダム駅の先、Branden-burgや、Magde-burgまで行くらしい。
多分、コレに乗れば行けるだろうと思ってはいたのだが・・・・・・・、
次発便まで一時間以上w
遠くまで行く路線は本数が少ないのか(-.-;
実はRE1、さっき出たばかりのようだ。
階下でカリーヴルストなんて食べているから間に合わなかったンだろうと、
自分を責めても仕方ない☆
とりあえず本でも読みながら待つことにした。しかし・・・・・・・・、
--------何かがおかしい。
妙なカンが働いた。
今回の旅は大失敗の連続だったが、
その度、自分の「カン」という名の経験値に頼って、
意外なリカバリーを図れた旅でもあった。
その「カン」が告げていた。
「こいつはヤバい」「何か違うぞ」と--------。
不意に---------、隣の路線を見た。
いつも使っているS7。
色で言えば紫色に分類される路線だ。
路線図を見るとS7の終着駅が「Potsdam Hbf」。
ん? コレでイケるンじゃね??
そうと決まれば話は早い!
考えるが早いか、腰を上げ、すぐさま階段を駆け下りる。
そして登りきったところで・・・・・・・、
目の前で扉が閉まるとかねwwwww
やっぱり大失敗w
ま、いつものコトなんだけどね(^▽^;
次に来るヤツはS7でもWannseeまでしか行かないヤツで、
10分程度待つハメになった☆
それでもRE1よりずっと早かったし、
乗り慣れて(苦笑)いる路線だけに安心感は半端なかったw
フリードリヒシュトラーセ駅を出発し、
ターミナル駅であるHauptbahnhofを抜けるとグッと人が少なくなった。
冷房のない車内は窓が開け放たれ、心地よい5月の風が吹き込んでくる。
8月なンですけどねw
流れる窓の風景からいつしか落書きだらけのコンクリートが消え、
緑のおおい茂る住宅地が現われた。
ゆったりとした敷地に植えられた芝生は、どれも綺麗に整えられている。
夏のヴァカンスシーズンらしかった。
子供連れの客がヴァンゼーで降りた。
湖で有名なヴァンゼーは、
あのラインハルト・ハイドリヒが「最終的解決」を提起した場所である。
今回も立ち寄りたかったが、なにぶん不案内なこともあり断念したw

(2006年当時のヴァンゼー会議)
ポツダムが近づく。
随分ゆっくりと走るように思えるのは、
多分、気がせいでいるからだろう。
ポツダムについてちゃんとバスがわかるのか?
バスの乗り継ぎは出来るのか?
迷わずツェツィーリエンホーフ宮殿まで行けるだろうか----------?
不安はつきなかった。

ネットが使えない(使えるがアテにしないw)ので、
予め確認しておいたバス路線を探した。
ポツダム駅前は市内行きのバスが何台もひしめくターミナルになっていて、
写真左脇にはトラムの乗り場もある。
公共交通機関が充実した街であるのは多分、
ここがサンスーシ宮殿を始めとする一大観光地だからだろう。
世界遺産なのだが、行かなかったなぁ~(^▽^;
まず638番のバスを探した。
604でも行けたはずなのだが、何故か使われていない。
また工事でも入っているのか(#^ω^)
638番のバスでReiterweg/Alleestr.まで乗り、
今度は603番バスに乗り換えてSchloss Cecilienhofまで。
・・・・・・・・・多分、この路線に乗る人のほとんどが、
ツェツィーリエンホーフ宮殿行きの観光客だろうと思い、タカをくくっていたが、
案外地元の人が多いのにびっくり(^^;
Reiterweg/Alleestr.で降りる。
進行方向に向かって右車線で降ろされたが、
このまま向かうはずだから道の向こう側に行く必要はないはず(多分w)
待ち時間は結構あった。
603番バスはいわゆる「田舎」まで行くので、
周遊とはいえ戻ってくるのに時間がかかってるのだろう。
周囲にはアジア系の観光客が多かった。
中国人かもしれないし、東南アジア系の人かもしれない。
韓国人ではないようだった。
同じアジア系でも見分けがつかないのだから、
フランス人だのドイツ人だのイタリア人だのの区別がつくわけがないw
せいぜい着ているモノで判断するくらい(苦笑)
と、思っていたらえらいハデな感じの背中がバックリ開いたドレスを着込んだ女性が、
なんと日本人だったのには驚いた(^▽^;
Schloss Cecilienhofに着いた。
私有地に有りがちな石畳の細路地は、
バス一台、通るので精一杯☆
おまけにガタガタとよく揺れて、腰が痛かったw
皆、一様に同じ方向を目指している。
多分、こちら側にあるのだろう。
そっけない外壁の途切れた場所から、
林というより森の入口といった感じの場所を抜けて、
いきなり現れるのが----------、

ツェツィーリエンホーフ宮殿は1917年、
当時皇太子だったヴィルヘルム・フォン・プロイセンの為に建設された。
第一次世界大戦の後、オランダに亡命したヴィルヘルム2世の息子である。
戦争の最中悠長にこんなものを建てている辺りで、結構ヤバいような気もするがw
何しろヴィルヘルム2世だから仕方ないw
彼の「特別な好み」についてとやかく言うつもりもないが、
傾国の一因となったことは事実だろう(-.-;
(ハルデン=オイレンブルク事件参照のコトw)
この年はロシアで2月革命が成功。
皇帝ニコライ2世が退位の上、一家全員(?)銃殺。
ロマノフ王朝滅亡し、ソビエト社会主義共和国連邦が誕生する。
(「陽明丸と800人の子供たち」北室南苑氏著)
同建物は1945年7月、ソ連によって「占領」された。
世にいう「ポツダム会談」が行われた8月時点で、
この場所はソ連の占領下にあったということになる。
なんと! ツェツィーリエンホーフ宮殿にはベルリンに来てる日本人観光客の、
およそ半数が集まってるンじゃね?ってくらい日本人を見ました(^▽^;
市内でもぜ~んぜん☆見なかったのに!(苦笑)
ちなみに上記写真左側にはカフェとトイレが設置されており、0.5€で使用可能です(-.-;

ツェツィーリエンホーフ宮殿は残念ながら工事中☆
上からグレンは下がっているし、
右には工人の姿も写り込んじゃってます(^▽^;
もっとも有名なウンター・デン・リンデン通りも大規模工事中で、
(なんでも新しく地下鉄を通すのだとかw)
とてもじゃあまりせんが見栄えがしなかったので写真もありません(´・ω・`)
出来上がった頃にまた来たいところですが、
まずはブランデンブルク国際空港が出来ないと話になりません(笑)
チケット売り場にはオーディオガイドもあります。
日本語有w
すっげ☆真面目に聞いてしまいそうなので断念。
(お値段高いしねw)
チケット代6€と、写真撮影代3€を払って中に進みます。
・・・・写真撮影にお金がかかるなんて、プラハ以来です(^^;
20世紀初頭の時代がかった部屋をいくつか見て回った後、
ひときわ天上の高い場所に出てきました。

ポツダム会談の議場です。
ぞくぞくっと、しましたね(^▽^;
某テレビ番組じゃありませんが「歴史が動いた」瞬間の場にいるわけです(>皿<)
もっとも1945年2月、黒海の保養地ヤルタで行われた「会談」で、
「大枠の」合意がなされていたのでしょうから、
むしろ当時のソ連支配下で行われたポツダム会談は、
いわば「セレモニー」のようなものだったとは思うのですがw
手前に、ルーズベルトトルーマン、
(ルーズベルトと記載していましたが、4月に脳卒中で他界してました! ごめんなさい!
てか、誰かツッコミ入れてぇ~。゚(゚´Д`゚)゚。)
左にチャーチル、右にスターリン---------。
世界を操った巨人達が、
この、手の届きそうな椅子に座り、
以後の「世界」を作った。そう思うと・・・・・・・・、
ぞくぞくぞくぅぅ♪♪♪
トルーマンはこの場で、
「王」の如く君臨していたスターリンに耳打ちしたとされている。
「強大な力を手に入れた」と--------。
しかしスターリンが顔色一つ変えなかった為、
この4日後、広島に世界初の原子爆弾を投下することを指示した。
再びチケットセンターに戻ってきました☆
ものすごい人が並んでいてびっくり!
団体客が入ったみたいですね(^^;
タイミングよかったです(苦笑)
ギフトセンターで絵葉書を購入☆
大判の絵葉書は収納が難しい為、
ハガキサイズのモノを選んだのですが・・・・・・・・、
「4枚? 5枚買うと一枚サービスするよ!」
レジに持っていったらイケメンのお兄さんがそう勧めてくれます☆
これはもう一枚探さねばなりますまいっっwww
結局、ツェツィーリエンホーフ宮殿の絵葉書をもう一枚買って、
後で2枚取り替えて貰ってw
(もっとイイヤツが別のところにあったンですよ(-.-;)
ベルリンの旅が終わった。
宮殿出口に設置された署名欄に名前を書き込む。
「2017年8月15日、広島より」-------------。
フリードリヒシュトラーセ駅でRE1という電車を待っていた。
路線図によるとRE1という電車は、
ポツダム駅の先、Branden-burgや、Magde-burgまで行くらしい。
多分、コレに乗れば行けるだろうと思ってはいたのだが・・・・・・・、
次発便まで一時間以上w
遠くまで行く路線は本数が少ないのか(-.-;
実はRE1、さっき出たばかりのようだ。
階下でカリーヴルストなんて食べているから間に合わなかったンだろうと、
自分を責めても仕方ない☆
とりあえず本でも読みながら待つことにした。しかし・・・・・・・・、
--------何かがおかしい。
妙なカンが働いた。
今回の旅は大失敗の連続だったが、
その度、自分の「カン」という名の経験値に頼って、
意外なリカバリーを図れた旅でもあった。
その「カン」が告げていた。
「こいつはヤバい」「何か違うぞ」と--------。
不意に---------、隣の路線を見た。
いつも使っているS7。
色で言えば紫色に分類される路線だ。
路線図を見るとS7の終着駅が「Potsdam Hbf」。
ん? コレでイケるンじゃね??
そうと決まれば話は早い!
考えるが早いか、腰を上げ、すぐさま階段を駆け下りる。
そして登りきったところで・・・・・・・、
目の前で扉が閉まるとかねwwwww
やっぱり大失敗w
ま、いつものコトなんだけどね(^▽^;
次に来るヤツはS7でもWannseeまでしか行かないヤツで、
10分程度待つハメになった☆
それでもRE1よりずっと早かったし、
乗り慣れて(苦笑)いる路線だけに安心感は半端なかったw
フリードリヒシュトラーセ駅を出発し、
ターミナル駅であるHauptbahnhofを抜けるとグッと人が少なくなった。
冷房のない車内は窓が開け放たれ、心地よい5月の風が吹き込んでくる。
8月なンですけどねw
流れる窓の風景からいつしか落書きだらけのコンクリートが消え、
緑のおおい茂る住宅地が現われた。
ゆったりとした敷地に植えられた芝生は、どれも綺麗に整えられている。
夏のヴァカンスシーズンらしかった。
子供連れの客がヴァンゼーで降りた。
湖で有名なヴァンゼーは、
あのラインハルト・ハイドリヒが「最終的解決」を提起した場所である。
今回も立ち寄りたかったが、なにぶん不案内なこともあり断念したw

(2006年当時のヴァンゼー会議)
ポツダムが近づく。
随分ゆっくりと走るように思えるのは、
多分、気がせいでいるからだろう。
ポツダムについてちゃんとバスがわかるのか?
バスの乗り継ぎは出来るのか?
迷わずツェツィーリエンホーフ宮殿まで行けるだろうか----------?
不安はつきなかった。

ネットが使えない(使えるがアテにしないw)ので、
予め確認しておいたバス路線を探した。
ポツダム駅前は市内行きのバスが何台もひしめくターミナルになっていて、
写真左脇にはトラムの乗り場もある。
公共交通機関が充実した街であるのは多分、
ここがサンスーシ宮殿を始めとする一大観光地だからだろう。
世界遺産なのだが、行かなかったなぁ~(^▽^;
まず638番のバスを探した。
604でも行けたはずなのだが、何故か使われていない。
また工事でも入っているのか(#^ω^)
638番のバスでReiterweg/Alleestr.まで乗り、
今度は603番バスに乗り換えてSchloss Cecilienhofまで。
・・・・・・・・・多分、この路線に乗る人のほとんどが、
ツェツィーリエンホーフ宮殿行きの観光客だろうと思い、タカをくくっていたが、
案外地元の人が多いのにびっくり(^^;
Reiterweg/Alleestr.で降りる。
進行方向に向かって右車線で降ろされたが、
このまま向かうはずだから道の向こう側に行く必要はないはず(多分w)
待ち時間は結構あった。
603番バスはいわゆる「田舎」まで行くので、
周遊とはいえ戻ってくるのに時間がかかってるのだろう。
周囲にはアジア系の観光客が多かった。
中国人かもしれないし、東南アジア系の人かもしれない。
韓国人ではないようだった。
同じアジア系でも見分けがつかないのだから、
フランス人だのドイツ人だのイタリア人だのの区別がつくわけがないw
せいぜい着ているモノで判断するくらい(苦笑)
と、思っていたらえらいハデな感じの背中がバックリ開いたドレスを着込んだ女性が、
なんと日本人だったのには驚いた(^▽^;
Schloss Cecilienhofに着いた。
私有地に有りがちな石畳の細路地は、
バス一台、通るので精一杯☆
おまけにガタガタとよく揺れて、腰が痛かったw
皆、一様に同じ方向を目指している。
多分、こちら側にあるのだろう。
そっけない外壁の途切れた場所から、
林というより森の入口といった感じの場所を抜けて、
いきなり現れるのが----------、

ツェツィーリエンホーフ宮殿は1917年、
当時皇太子だったヴィルヘルム・フォン・プロイセンの為に建設された。
第一次世界大戦の後、オランダに亡命したヴィルヘルム2世の息子である。
戦争の最中悠長にこんなものを建てている辺りで、結構ヤバいような気もするがw
何しろヴィルヘルム2世だから仕方ないw
彼の「特別な好み」についてとやかく言うつもりもないが、
傾国の一因となったことは事実だろう(-.-;
(ハルデン=オイレンブルク事件参照のコトw)
この年はロシアで2月革命が成功。
皇帝ニコライ2世が退位の上、一家全員(?)銃殺。
ロマノフ王朝滅亡し、ソビエト社会主義共和国連邦が誕生する。
(「陽明丸と800人の子供たち」北室南苑氏著)
同建物は1945年7月、ソ連によって「占領」された。
世にいう「ポツダム会談」が行われた8月時点で、
この場所はソ連の占領下にあったということになる。
なんと! ツェツィーリエンホーフ宮殿にはベルリンに来てる日本人観光客の、
およそ半数が集まってるンじゃね?ってくらい日本人を見ました(^▽^;
市内でもぜ~んぜん☆見なかったのに!(苦笑)
ちなみに上記写真左側にはカフェとトイレが設置されており、0.5€で使用可能です(-.-;

ツェツィーリエンホーフ宮殿は残念ながら工事中☆
上からグレンは下がっているし、
右には工人の姿も写り込んじゃってます(^▽^;
もっとも有名なウンター・デン・リンデン通りも大規模工事中で、
(なんでも新しく地下鉄を通すのだとかw)
とてもじゃあまりせんが見栄えがしなかったので写真もありません(´・ω・`)
出来上がった頃にまた来たいところですが、
まずはブランデンブルク国際空港が出来ないと話になりません(笑)
チケット売り場にはオーディオガイドもあります。
日本語有w
すっげ☆真面目に聞いてしまいそうなので断念。
(お値段高いしねw)
チケット代6€と、写真撮影代3€を払って中に進みます。
・・・・写真撮影にお金がかかるなんて、プラハ以来です(^^;
20世紀初頭の時代がかった部屋をいくつか見て回った後、
ひときわ天上の高い場所に出てきました。

ポツダム会談の議場です。
ぞくぞくっと、しましたね(^▽^;
某テレビ番組じゃありませんが「歴史が動いた」瞬間の場にいるわけです(>皿<)
もっとも1945年2月、黒海の保養地ヤルタで行われた「会談」で、
「大枠の」合意がなされていたのでしょうから、
むしろ当時のソ連支配下で行われたポツダム会談は、
いわば「セレモニー」のようなものだったとは思うのですがw
手前に、
(ルーズベルトと記載していましたが、4月に脳卒中で他界してました! ごめんなさい!
てか、誰かツッコミ入れてぇ~。゚(゚´Д`゚)゚。)
左にチャーチル、右にスターリン---------。
世界を操った巨人達が、
この、手の届きそうな椅子に座り、
以後の「世界」を作った。そう思うと・・・・・・・・、
ぞくぞくぞくぅぅ♪♪♪
トルーマンはこの場で、
「王」の如く君臨していたスターリンに耳打ちしたとされている。
「強大な力を手に入れた」と--------。
しかしスターリンが顔色一つ変えなかった為、
この4日後、広島に世界初の原子爆弾を投下することを指示した。
再びチケットセンターに戻ってきました☆
ものすごい人が並んでいてびっくり!
団体客が入ったみたいですね(^^;
タイミングよかったです(苦笑)
ギフトセンターで絵葉書を購入☆
大判の絵葉書は収納が難しい為、
ハガキサイズのモノを選んだのですが・・・・・・・・、
「4枚? 5枚買うと一枚サービスするよ!」
レジに持っていったらイケメンのお兄さんがそう勧めてくれます☆
これはもう一枚探さねばなりますまいっっwww
結局、ツェツィーリエンホーフ宮殿の絵葉書をもう一枚買って、
後で2枚取り替えて貰ってw
(もっとイイヤツが別のところにあったンですよ(-.-;)
ベルリンの旅が終わった。
宮殿出口に設置された署名欄に名前を書き込む。
「2017年8月15日、広島より」-------------。
| 2017-09-06 | Deutschland2017 | Comment : 0 | トラックバック : 0 |
独逸日記2017~国会議事堂~ - 2017.09.05 Tue
2017年8月15日(火)----------、
うん、あのね?(^^;
昨日の日記であんなシリアスに収めたのに気がひけるのですが・・・・、
実はメモリアル・トゥ・マーダーは開館が10時だったwwww
いや~・・・大失敗デス☆
9時って思い込んでいたンですが、10時でした (ゝω・)テヘペロ
仕方ない(?)のでやってきたのがこちら!!!

ドイツ国会議事堂です。
1933年1月30日----------、
アドルフ・ヒトラーが政権を握ると即時に議会を解散し、
3月5日、総選挙を行うことを宣言した。
ところが2月27日深夜、この国会議事堂は炎上する。
犯人はオランダの共産党員、マリヌス・ファン・デア・ルッベとされたが不審な点が多く、
国民の多くはこの逮捕を信じてはいなかったと思われる。
ナチスはこの事件を徹底的に利用し、
パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領の名で「反逆防止緊急令」を即日公布。
これにより言論の自由や所有権は事実上取り上げられた。
しかしもっとも大きかったのは、
政府が連邦各州の全権を掌握できるようになったことだろう。
以後、国会議事堂は使われることなく風雨に晒され、
戦火が激しくなるとさらに荒廃した。
戦後、西ドイツ領内に位置したこの建物に、
再び人々が集うのは統一ドイツが成し遂げられ、ベルリンに首都が戻された後になる。
---------一応、国の最高機関の一つなので警備は厳重☆
手前にハリボテのコンテナがあり、
そこで空港ばりの荷物検査とボディチェックを受けているらしい。
・・・・らしいというのは入らなかったからw
歴史的に興味はあったけど、ガイドさんもついていなかったしね(^▽^;
1933年3月の選挙でナチス党は199議席から288議席へと大躍進を遂げる。
第三帝国の始まりとされる「全権委任法」を通過させ、
その二ヶ月後、行われたのが悪名高き「焚書」だ。

フンボルト大学(旧ベルリン大学)の向かい、
ウンター・デン・リンデンを挟んだ国立歌劇場前にベーベル広場と呼ばれる場所があります。
同年5月、ここでナチス・ドイツの意向にそぐわない書物を、
炎によって祓い清めたのです。
フロイト、トゥホルスキー、ハイネそして、
カール・マルクス---------。

哲学者たちは世界をあれこれと解釈してきたに過ぎない、
だが重要なのは世界を変えることだ。
フンボルト大学に残るカール・マルクスの言葉です。
しかしコレはソ連の支配下に収まった1953年に掲げられたものw
壁の崩壊と共にこの言葉は存続か破壊か、議論の的になったそうです(^^;
拡大写真は撮りそびれましたが、
この階段にはうるさいくらい「Vorsicht Stufe」の文字が書かれてる。
(見えるかな~???)
なんだろう? と、不思議には思っていたが、
帰国後、調べてみると2010年フンボルト大学創立200周年の際、
カール・マルクスの言葉を残すと共に、新たに付け加えられたのだとかw
直訳すると「注意喚起」?
何事もこの階段のように、一段一段の積み重ねが大事って意味なのかな???(苦笑)

「図書館」 ミハ・ウルマン(イスラエル)
メモリアル・トゥ・マーダーと国会議事堂の間にあるブランデンブルク門。
「西側」から見た様子はこちら。

「西側」からは結構近くまでこれたそうです。
「東側」はというと・・・・・・・、
ブランデンブルク門正面からかなり離れた位置まで無人地帯だったのだとか--------。
今、まさにこの真下に立てるのは、本当に幸運なことなのでしょう。
10時が近くなったのでメモリアル・トゥ・マーダーに向かいます☆
すでに数人の観光客と思しき人物の姿。
それがいつしか列となり、みるみるうちに結構な長さとなりました。
場所が場所だけに一応のところ荷物検査とボディチェックがある為、
少しづつしか入館出来ません(10人くらい?)
で、前の人について階段を降りようとしたところでストップがかかるw
「××××?」
ン? 何ゆってンだ???(^▽^;
旅行中、まったく聞き取れないことがありますが、
まさに今回のお兄ちゃんがそう☆
英語じゃなかったのかな???(そんなことないよな~w)
なんとなく・・・・、「チケット持ってる?」みたいなことを言ってるようだったが、
この施設は無料だし、オーディオガイドも日本語の物はない。
??? とりあえずうなづいとけw
するとベルトを外し、中に入れてくれた☆
なんだったンだろう???(苦笑)
メモリアル・トゥ・マーダーを見終え、
フリードリヒシュトラーセ駅で腹ごしらえをしてから、
いよいよツェツィーリエンホーフ宮殿に向かいますっっ!!(>▽<)

【教訓】
Witty's Currywurstのカレーヴルストは、
皮付きで玉ねぎのとうがらし和えが乗っている方が好みでした☆
うん、あのね?(^^;
昨日の日記であんなシリアスに収めたのに気がひけるのですが・・・・、
実はメモリアル・トゥ・マーダーは開館が10時だったwwww
いや~・・・大失敗デス☆
9時って思い込んでいたンですが、10時でした (ゝω・)テヘペロ
仕方ない(?)のでやってきたのがこちら!!!

ドイツ国会議事堂です。
1933年1月30日----------、
アドルフ・ヒトラーが政権を握ると即時に議会を解散し、
3月5日、総選挙を行うことを宣言した。
ところが2月27日深夜、この国会議事堂は炎上する。
犯人はオランダの共産党員、マリヌス・ファン・デア・ルッベとされたが不審な点が多く、
国民の多くはこの逮捕を信じてはいなかったと思われる。
ナチスはこの事件を徹底的に利用し、
パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領の名で「反逆防止緊急令」を即日公布。
これにより言論の自由や所有権は事実上取り上げられた。
しかしもっとも大きかったのは、
政府が連邦各州の全権を掌握できるようになったことだろう。
以後、国会議事堂は使われることなく風雨に晒され、
戦火が激しくなるとさらに荒廃した。
戦後、西ドイツ領内に位置したこの建物に、
再び人々が集うのは統一ドイツが成し遂げられ、ベルリンに首都が戻された後になる。
---------一応、国の最高機関の一つなので警備は厳重☆
手前にハリボテのコンテナがあり、
そこで空港ばりの荷物検査とボディチェックを受けているらしい。
・・・・らしいというのは入らなかったからw
歴史的に興味はあったけど、ガイドさんもついていなかったしね(^▽^;
1933年3月の選挙でナチス党は199議席から288議席へと大躍進を遂げる。
第三帝国の始まりとされる「全権委任法」を通過させ、
その二ヶ月後、行われたのが悪名高き「焚書」だ。

フンボルト大学(旧ベルリン大学)の向かい、
ウンター・デン・リンデンを挟んだ国立歌劇場前にベーベル広場と呼ばれる場所があります。
同年5月、ここでナチス・ドイツの意向にそぐわない書物を、
炎によって祓い清めたのです。
フロイト、トゥホルスキー、ハイネそして、
カール・マルクス---------。

哲学者たちは世界をあれこれと解釈してきたに過ぎない、
だが重要なのは世界を変えることだ。
フンボルト大学に残るカール・マルクスの言葉です。
しかしコレはソ連の支配下に収まった1953年に掲げられたものw
壁の崩壊と共にこの言葉は存続か破壊か、議論の的になったそうです(^^;
拡大写真は撮りそびれましたが、
この階段にはうるさいくらい「Vorsicht Stufe」の文字が書かれてる。
(見えるかな~???)
なんだろう? と、不思議には思っていたが、
帰国後、調べてみると2010年フンボルト大学創立200周年の際、
カール・マルクスの言葉を残すと共に、新たに付け加えられたのだとかw
直訳すると「注意喚起」?
何事もこの階段のように、一段一段の積み重ねが大事って意味なのかな???(苦笑)

「図書館」 ミハ・ウルマン(イスラエル)
メモリアル・トゥ・マーダーと国会議事堂の間にあるブランデンブルク門。
「西側」から見た様子はこちら。

「西側」からは結構近くまでこれたそうです。
「東側」はというと・・・・・・・、
ブランデンブルク門正面からかなり離れた位置まで無人地帯だったのだとか--------。
今、まさにこの真下に立てるのは、本当に幸運なことなのでしょう。
10時が近くなったのでメモリアル・トゥ・マーダーに向かいます☆
すでに数人の観光客と思しき人物の姿。
それがいつしか列となり、みるみるうちに結構な長さとなりました。
場所が場所だけに一応のところ荷物検査とボディチェックがある為、
少しづつしか入館出来ません(10人くらい?)
で、前の人について階段を降りようとしたところでストップがかかるw
「××××?」
ン? 何ゆってンだ???(^▽^;
旅行中、まったく聞き取れないことがありますが、
まさに今回のお兄ちゃんがそう☆
英語じゃなかったのかな???(そんなことないよな~w)
なんとなく・・・・、「チケット持ってる?」みたいなことを言ってるようだったが、
この施設は無料だし、オーディオガイドも日本語の物はない。
??? とりあえずうなづいとけw
するとベルトを外し、中に入れてくれた☆
なんだったンだろう???(苦笑)
メモリアル・トゥ・マーダーを見終え、
フリードリヒシュトラーセ駅で腹ごしらえをしてから、
いよいよツェツィーリエンホーフ宮殿に向かいますっっ!!(>▽<)

【教訓】
Witty's Currywurstのカレーヴルストは、
皮付きで玉ねぎのとうがらし和えが乗っている方が好みでした☆
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